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【名手の名言】中部銀次郎「ゴルフに、遊びのゴルフとか真剣にやるゴルフとかはない。ゴルフはゴルフだよ」

レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は「プロより強いアマ」と称された伝説のゴルファー・中部銀次郎の言葉をご紹介!


ゴルフに、遊びのゴルフとか
真剣にやるゴルフとかはない
ゴルフはゴルフだよ

中部銀次郎


青木功は例えアマチュアに対しても“手を抜かないゴルフ”をしていた。実はこの姿勢は、青木の無二の友人だった中部銀次郎に触発されたものだった。

青木が我孫子GCでキャディをしていたころ、中部一家がプレーヤーとして出入りしていて、2人は知り合った。育ちや生活環境こそ違ったが、同じ年齢ということもあり、その後親しく交わっている。影響を受けたのは、むろん青木。そのころ、中部はすでにアマチュア界のプリンスであったのだから。

ともかく、中部はどんな下手な人とラウンドするときでも、手抜きや遊びの姿勢は微塵も見せなかった。

「日本アマでやるときと仲間でやるときと、違うゴルフができるほど、おれは器用ではないよ。ゴルフはゴルフ、ひとつしかない」

和気藹々の言葉は交わしながらも自分のプレーを変えない、いつもの中部がそこにはあった。


君は待ち方が下手だな……

中部銀次郎


元日本テレビスポーツアナウンサーの吉田塡一郎。1983年、ハワイアンオープンで青木功が米ツアー初優勝したときにアナウンスしたことでも知られる。

その吉田が憧れの中部銀次郎とラウンドした。緊張し、舞い上がっていた吉田は誤球してしまった。中部より飛んでいるはずもないと、最初にさっさと打ってしまったのだ。もちろん中部はわかっていたのだが、制止する暇もなかったという。

吉田は「一生のうちで一番嬉しい誤球だった(?!)」と述懐していたが、ラウンド後、吉田が中部に感想を聞いたところ、そのときの「言葉」が冒頭のそれだったという。

中部は口に出すことはしなかったが、ティーイングエリアから自分のボールのところまで歩くとき、人に横切られることを嫌った。そのとき、次打での攻略を考えているのだろう。“待つ”時間にもゴルフ上達のヒントが隠されているというべきか。むろん、自分が人の前を横切ることは一切しなかった。

悠々として急ぐその姿は美しかったと吉田。それからは吉田は“待つ”所作のことを考えるようになったという。

■中部銀次郎(1942~2001年)

なかべ・ぎんじろう。山口県下関市に大洋漁業を営む一族の御曹司として生まれる。虚弱な体質のため、幼少より父の手ほどきでゴルフを始める。長ずるにしたがって、腕をあげ天才の出現と騒がれた。甲南大卒。60年、18歳で日本アマに出場。62年、20歳で日本アマ初優勝。以後64、66、67、74、78年と17年にわたり、通算6勝の金字塔をうちたてた。67年には西日本オープンでプロを退けて優勝。プロより強いアマといわれた。しかし、プロ入りはせず、生涯アマチュアイズムを貫いた。01年、永眠。

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