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【ゴルフせんとや生まれけむ】上重聡<前編>松坂大輔に誘われて…

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、アナウンサーの上重聡氏。

2024年3月末に長年お世話になった日本テレビを退社し、フリーアナウンサーに転身しました。03年に入社してから20年以上アナウンサーとして活動していますが、今でも私のことを「夏の甲子園で松坂大輔と投げ合ったPL学園のエース」として覚えてくださっている方もたくさんいらっしゃいます。その経歴がプレッシャーになった時期もありましたが、大輔と投げ合ったのは98年8月20日ですから、もう26年前です。そんなに昔のことを覚えてくださっているのは、今となってはありがたいことだなあと思えます。

ゴルフを始めたきっかけも大輔でした。大学2年の冬に「ゴルフを始めろよ」と言われ、クラブなどゴルフ用具一式をもらいました。私はPL学園卒業後、立教大学に進学して野球を続けていました。立教大学野球部の本拠地は埼玉県新座市です。大輔は橫浜高校卒業後、西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)に入団しましたから、本拠地は埼玉県所沢市です。距離が近いということもあって、「オレが行くとき一緒に行けるから」「いろんな人を紹介しやすいから」とゴルフを勧められました。

当時の西武には西口(文也)さんや石井(貴)さんやデニー(友利)さんといった先輩投手がいました。その中に大輔が1人で入るよりも、私が一緒にいたほうが気分的にラクだったというのもあると思います(笑)。私は迷惑をかけないように必死に走りながら回っていたら、初ラウンドのスコアが108でした。そして2回目のラウンドはなんと99で回れました。父親がゴルフをしていましたから、子どもの頃から素振りを隣で見ながら一緒にクラブを振ったりしていたんです。それと家にパターマットがあったのでパター練習をしていたのですが、自分専用のマットが欲しくなり、誕生日プレゼントで買ってもらいました。それを小学校の高学年から自分の部屋に置いてパター練習をしていたので、初ラウンドのときも戸惑うことがありませんでした。ちなみに私のパターの持ち方は小学生のときから逆手(クロスハンドグリップ)です。たぶんテレビで最初に見たプロゴルファーが逆手だったので、それをマネしたんだと思います。 

ゴルフを始めて2ラウンド目で100切りを達成しましたが、一緒に回るのは大輔ばかりですから、プロ野球のオフシーズンしか行きません。12月と1月に何回かラウンドし、次は1年後、みたいな感じでした。

当時は100を切るのを目標に、いつも96~98くらいのスコアで回っていました。でも、その頃はいいスコアで回りたいというよりも、一緒に回った人に自分のことを覚えてもらいたい気持ちのほうが強かったですね。ドライバーを300ヤード飛ばしたり、パー5で2オンしてイーグルを取ったり、とにかくインパクトを残すことに全力を注いでいました(笑)。最近はドライバーを振り回さなくなり、ユーティリティでティーショットを打つことを覚えました。そうすると70台で回れることが多くなり、昨年はベストスコアの71が出たんです。

>>後編につづく

上重 聡

1980年生まれ、大阪府出身。PL学園のエースとして98年夏の甲子園準々決勝で横浜高校の松坂大輔と延長17回の死闘を演じる。立教大学卒業後、03年日本テレビに入社し、アナウンサーとして活躍。24年3月に日本テレビを退社してフリーアナウンサーに転身。ベストスコア71

週刊ゴルフダイジェスト2024年8月20・27日合併号より