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【ゴルフ野性塾】Vol.1820「上達したければミスへの挑戦」

KEYWORD 坂田信弘

古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。

前回のお話はこちら

冬の寒さ続く
一週間だった。

練習場通い、寒き日続けばバスでの通いは億劫になる。
昨年2月から西新ゴルフ練習場で球打って来たが、福岡市内3つの練習場が私の送り迎えを申し出て来た。
勿論、レッスンはしない。
定められた時間での練習場通いもなしだ。
私の好みの時間に合せた送迎であった。
私も女房も車の免許証持った事は一度もない。
当然、車の所有もない。
夫婦揃って酒も煙草も縁なしの日々を送って来た。

所属するゴルフ場への通勤は自転車。
雨降っても雪降っても鹿沼CC片道14キロの平道、周防灘CC片道7キロの山道を走った。
トロトロ走りはしなかった。
安全確認すればスピードを上げた。
今、自転車には乗らぬ。
70歳過ぎての自転車乗りは人様と周囲への迷惑、多いと考えたからだ。
自分は大丈夫、ヘマはしないとの考えは過信、横着に繋がると思う。
70歳過ぎれば時間は充分にある。
75歳過ぎれば時間は人様に売れる程だ。

練習場の提案に乗った。
昨年2月から通った西新ゴルフ練習場に義理はない。会員になり、お金はきっちり払い、ロッカーフィも払って来た。
通う練習場を変えた。
西新ゴルフ練習場と同じ雰囲気だった。
打席の通路、打席へ向う時、初日は驚きの表情見せる人もいたが、次の日からは黙って頭下げる人もいれば御苦労様ですと声掛けて来る人もいた。

40歳。大切にしていたものは何か。


私はリズムで打った。
ミスしたか否かはインパクトの前からインパクト直後には分る。
いい球打てたか否かはインパクト後の球追う時ではないと分らない。
多くの方はいい球を求めて球を打たれる。
上達したければミスへの挑戦を勧める。
同じ球数を打ち、同じ結果を出そうとするとミスへの挑戦はいい球打ちに行く挑戦の10分の1の球数で済む。
第一にスウィングの単純化が生じる。
単純化生じれば癖の数、少なくなる。
そして良癖が増す。
400球から450球打った。
勿論、練習場代はきっちり払った。

私の送迎、練習場のメンバーがやっていた。
レッスンは一度もやっていない。
雰囲気で分る、どの様な悩み持っているかは。
その内、ワンポイントレッスンやる時も来るだろう。
ゴルフレッスンと若い者への説教は3分。
それ以上のレッスンと説教は耳の穴から通り抜けるだけだ。
2つも3つも指摘された時、最初に何を教わったかなんか忘れている。
説教然りだ。

自動販売機のカフェオーレを飲んだ。
そして思った。
40歳で一番大切にしてたものは何だったか、と。
ゴルフだったか、ゴルフ以外だったか。
家族だったか、家族以外だったか。
友だったか、一期一会の出会いの人だったか。
分らなかった。

遠い記憶だった。
平成5年8月に坂田ジュニアゴルフ塾を開き、一期生14名が入塾して来た。
目標は世界で戦えるプロゴルファーの養育だった。
時、穏やかに過ぎて塾出身者115名がプロテストに通った。
塾生以外に指導した者15名がテストに通った。
シード権取りし者は19名と記憶する。
男は2人、女子は17名。
一番新しくシード取りし者は神戸塾出身の安田祐香。

体・技・心の基本は何かを考えた。
練習場が変り、打席が変っても私の球打つスピード、スウィングは変らない。
寒い中、バス待つ時間が無くなっただけだ。
しかし、大いに助かっている。
40歳の時、体・技・心の基本なんて事、考えなかった。
周防灘に戻れば18番ホールグリーン裏の私の打席で球打つだけだった。
無心で打てば軽いドローが出た。
気持ちのどこかに拘り入れればドローも出たし、フェードも出た。
無心の時は体重の移動、スムーズだった。
拘り出すと体重の移動、どこかでスムーズさを欠いた。
体重が残った。

野性塾大濠公園18人衆の集いの日が来た。
その日も寒かった。

「40歳の記憶は戻ったり戻らなかったりだ。何故か、30歳、50歳の記憶より遠いのだ。理由は分らない。ただ、突然、飛び出す記憶もあろう。40歳前後、特に40歳過ぎの記憶は色付きの悪い記憶だ。今日、アンタ方とコーヒー飲んでいるが5年先、今日の記憶残っているかと申せば分らんな。アンタ方はどうだ?」

「残ります。残さなければいけない出会いです」

「そうか。私の40歳、一生懸命さが不足していたのかも知れんな。今、野性塾を読んでくれる方、増えていると聞く。ゴルフ理論よりはアンタ方との会話の方が面白いのかも知れん。でもな、私にとっては何事もいつも通りだ。人、最後は同じ道を歩く。死への道だ。父は49歳の時に鬼籍に入った。私は20歳だった。まさか、こんなに早くと思った。母も逝った。弟幸二も妹和子も弟博も逝った。人、生き行く中で最後は一本道だ。大きな道だ。遠慮せずに真ん中を歩きゃいい。しかし、今日も寒いな。暖かくなるのは何時だ。3月になってか」

「三寒四温と言いますが、今は四寒四暖だと思います」

言葉少なき18人だった。
18人衆の聞く姿勢、変って来た様な気はする。
今日2月29日、冷たき風が吹いている。
今日の迎えは夕方5時。
18人衆とは違うが迎えの方達、赤坂の15階に来るのを楽しみにしていると聞く。

我が身の周り、何も変らず。
街路樹のけやきの幹に触る。
かさついている。
未だ冬だ。
体調良好です。
以下、次週稿―――。

坂田信弘

昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格

週刊ゴルフダイジェスト2024年3月19日号より

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