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【ゴルフせんとや生まれけむ】初芝清<前編>「最終ホールで奇跡の一打! ゴルフのイメージが一変しました」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、 元プロ野球選手の初芝清氏。

ゴルフを始めたのはプロ入り1年目のシーズンオフですから、89年の秋です。プロ野球選手は選手会のコンペがあるので、半強制的に参加させられるんです。だからコンペの前日に「練習場に連れて行ってください」と先輩に頼んで、そこで初めてボールを打ちました。クラブは親戚の人に借りました。打ち方なんて知りませんから、まあ当たりませんよね。「これの何がおもしろいのかな」と思いましたね。次の日にゴルフ場に行っても、やっぱり当たらないわけですよ。空振りもしますし、まともに当たらないからどこに飛んで行くかもわかりません。独りぼっちであっちこっちに行って打つだけなので「こんなの全然おもしろくないな」と、最終ホールまでの記憶はまったくありません。

ところが最終ホールで奇跡の一打が出たんです。ドライバーをチョロしてペロペロッと転がって、セカンドショットでスプーンを力任せに「ブン!」と振ったら、それが「バシンッ!」と芯に当たり、「グーン!」と真っすぐ飛んで行ったんですよ。そのショットがグリーンの近くまで届き、「うわっ、何だこれ!」「おもしれえ!」とイメージが一気に変わりました。

そのときラウンドしたゴルフ場が市原ゴルフクラブ(千葉県)だったのですが、4日後にまた同じコースに行きました(笑)。2回目のラウンドの細かい内容までは覚えていませんが、初ラウンドのスコアが132で、それよりも悪いスコアで回ったことはないので、4日前よりも少しだけマシだったはずです。

そうなると2年目のオフはもうゴルフに行きたくてしょうがないんですよ。12月だけで17~18回行きました。1年目よりもだいぶ上手になりましたが、それでもまだ100は切れませんでしたね。110くらいのところをウロチョロしている感じでした。周りから話を聞くと、ゴルフは100がなかなか切れないんだというじゃないですか。そうすると100を切りたいという気持ちが当然出てきます。2年目のオフは100を切れないまま終わったので、3年目のオフは何が何でも100を切りたかったですね。そしてついにその瞬間が訪れました。100切りを狙えるスコアで最終ホールのグリーンを迎え、残り1メートルのパットを入れれば99、外せば100という状況を見事乗り切り、念願の100切りを達成しました。100を切るのがあんなにうれしいことだとは思いませんでしたね。

現役時代のゴルフはオフに固め打ちをするのと、キャンプ中の休日はOKでしたから、休日は全部行っていました。キャンプ地は鹿児島だったので、鹿児島ガーデンゴルフ倶楽部とか知覧カントリークラブとか、いろんなゴルフ場に行きましたね。1カ月間キャンプに行くと休日が5日間あるので、5日ともゴルフです。休日の前日に飲みに行き、次の日にゴルフに行き、ゴルフが終わったらまた飲みに行くんです。だから休み明け初日の練習が一番キツかったですね。初日を乗り越えれば何とかなるというのを繰り返していました(笑)。

>>後編につづく

初芝 清

はつしば・きよし。1967年生まれ、東京都出身。88年ドラフト4位でロッテに入団。90年に三塁手のレギュラーに定着。95年に打点王のタイトルを獲得。現役引退を表明した2005年に日本シリーズ制覇。引退後は社会人野球チームの監督を歴任。現在はオールフロンティア野球部監督

週刊ゴルフダイジェスト2024年2月20日号より