Myゴルフダイジェスト

  • ホーム
  • 週刊GD
  • 【ゴルフ野性塾】Vol.1815「ゴルフは飛ばしたい欲との戦い」

【ゴルフ野性塾】Vol.1815「ゴルフは飛ばしたい欲との戦い」

古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。

前回のお話はこちら

朝の日射し
強き日だ。

今日1月18日。現在時、午前9時25分。7時35分にペンを持ち、1時間50分が過ぎた。
雲、多き朝なれど朝日昇る位置、右へと変り始めた。
東と南、見渡せる位置で執筆するが、1カ月前とは陽の昇る位置、右へと変って来た。
キラッと光る機体が太陽の真下から降りて来る。陸から海に向っての進路。
今日の風は北風。でも暖かくなりそうだ。体調良好です。

練習場より1インチ短く握れ。

コースに出ると、練習場の当たりが出ません。ハーフトップやコスリ球ばかり打っているうちに4~5ホールが過ぎ、いい当たりが出始めたと思ったら昼食になり、午後もコスリ球とトップを繰り返す状態です。終わってみると、2~3回しかいい当たりが出ないことも多く、ストレスがたまる感じです。塾長、コースでいい当たりを出すにはどうすればいいでしょうか。(愛知県・渡辺和寿・53歳・ゴルフ歴20年・HC22)


偶然と思うが私も貴兄と同じ壁に直面していた。
ゴルフ練習場とコースラウンド時の当りの違い、異なるを知ったのは昨年の12月28日。
西戸崎シーサイドCCでのラウンド時。
ゴルフ歴20年のアマの方と研修生歴3年と11カ月、そしてプロ歴49年のアマ歴一日も持たぬ76歳を過ぎて77歳へ向う途中の爺様プロゴルファーが直面した壁。
長男雅樹と雅樹の友人2人の4人でのプレー時だった。
研修生時代、それもゴルフ始めてからの1年間は練習とラウンド時の当りの違い、生じていた。
だが、研修生生活1年過ぎてプロテスト予選を兼ねる研修会に参加した頃から当りの異なり、消えていた。
突然だった。
昨年12月、西戸崎シーサイドCCでのアイアンショット、ヒール当りが続いた。
一日1.5時間、450球打つ中でミス少なき球打つを練習の目標として来たが、ヒール当り続いた。
初めての経験だった。

考え込む時、一つの集中に向い始めた時、私は己の中に一気に入り込む癖を持つ。
ゴルフ然り、執筆然り。
周りへの気配り、気遣いなしでだ。
だから周りも女房も長男も知り易いと言う。
皆、静かに私から離れて行く。
最初に眼線が動かなくなるらしい。
次に体の動きが無くなる。
左手は左の頬を支える。
眼線は一点。
眼線の鋭さ、眼線の感情が消えると女房は言った。

「あの時のサンチャンの顔と雰囲気が好きだったよ。恰好いいな、と思ったネ。勿論、今も好きだけど、あの雰囲気、見せられたら女性が惚れるの当り前だ。いつもあの眼線と雰囲気に出会う事はないけれど、編集者がサンチャンとの会食、セッティングしたがるのは分るな。打合せの最中、突然、サンチャンが自分の中に入って行く瞬間に出会うのはサンチャンの原作を絵にする僕の喜びでもあったネ。あの瞬間は打合せ会食に参加していた編集者にも編集長にも編集者冥利に尽きる瞬間だったと思うな」

風の大地のパートナーである漫画家、かざま鋭二の5年前の新橋駅前焼肉店「土佐屋」での一言だった。
食事の途中、私は己の中へ入って行ったらしい。
編集長と編集者、そしてかざまさんは会話を止め、食事に没頭し、私が戻るのを待った。
食事終えて30分過ぎた時、私は賑った店内に戻った。
熱いお茶が欲しいな、と私は言ったらしい。
その時の没我から熱いお茶を欲した時迄の記憶はありません。

同じ没我の時が訪れた。
西戸崎シーサイドCC3番ホールだったと記憶する。
第2打を打った後だった。
雅樹は怪訝な表情で私を見る2人の背を押して私から離れて行ったらしい。
コース乗り入れ可のコースだった故、カートは近くに止っていた。
私はカートに乗った。
このホールのパットはしなかった。
次のホールのティーショットもしなかった。
そして私は戻った。

この日のラウンド後、すぐさま長男雅樹と共に赤坂の15階に戻り、私は西新ゴルフセンターへ向った。
シャフトの材質と長さ、異なる3セットを持ってだ。
クラブは3W、6、9、AWの4本。
打った。
リズムで打った。
左肩の回転、右腕の力加減、膝送り、フィニッシュの高さと大きさでも打った。
そして今年1月4日の西戸崎シーサイドCCでのラウンド、ゴルフバッグ中に18本のクラブ入れてラウンドした。
結論を申せば、シャフトの長さでコースラウンドのミス多く生じていた事が分った。
練習場とコース、同じ結果出すにはシャフト長、1インチ長過ぎていた。そしてグリップが細過ぎた。

その日の夕刻、宅急便でマジェスティの工場に26本のクラブを送った。
26本全部、シャフトカット、グリップ太くを依頼した。
マジェスティ修理担当の行動は早かった。
出来上ったクラブから送り返してくれた。
飛行機便でだ。
1月15日、熊本空港CCでのテレビ熊本「坂田信弘のゴルフ理論」収録。
平成5年8月から始まり現在も続く番組なれど、撮影前、熊本市北区飛田の広畑セカンドゴルフで300球打った。
そして熊本空港へと向った。
狙い通りの球が打てた。
ミスなき結果が続いた。
76歳のゴルフには長きシャフトに細きグリップは練習場向きであり、短きシャフト、太きグリップではコースラウンド向きである事を知った。

貴兄は若い。
私よりも23歳若い。
何も彼もが同じではない。
だが共通の悩みあれば共通の解決策あるのではと考える。
シャフト長1インチ短くするか、グリップの太さ、今よりやや太くするかへの挑戦、実利生じるのではと思います。
修理費用は要らない。
1インチ、センチだと2センチ短く握ればグリップでも細くなる。

結論―――。
短く握って100球打て。
ここは体・技・心の耐え時。100球は必要。
いい当り出なくても、これがコースで出る球と思って打てばいい当りも出て来よう。
そしてコースラウンド。
練習場以上の悪い当りは出ないと確信する。
練習場と同じ当りであれば成功だ。
長きシャフトで打てば初速は速い。球の伸びも強まる。
多くの方はその感触に喜び感じて長く握る。

日本のプロトーナメントのパーシモン時代、最も長きシャフト装着していたのは杉原輝雄さんだったと思うが、彼は2インチ短く握ってのティーショットが多かった。
最初から短く握るのならば長きシャフト装着する必要ないと思ったが、45.5インチのシャフト長を変えはしなかった。
パーシモン時代の平均的シャフト長は43.5インチだった。
杉原さんとの試合ラウンドは5ラウンドと記憶するが、目一杯の長さの振りは一度もなかった。両の肩を大きく使う方だった。青木功さんと対極スウィングの方だった。ノーコックのトップ型だった。
飛ばしたい欲、抑えて短く握るには勇気が要りましょう。
だが勇気は貴兄の友となり、貴兄の師匠となるのです。
その事だけは忘れないで戴きたい。
以上です。

坂田信弘

昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格

週刊ゴルフダイジェスト2024年2月6日号より

>>坂田信弘への質問はこちらから