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【名手の名言】丹羽文雄「文学に淫したと同じくらいゴルフにも淫した」

レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は昭和の文壇を代表する作家で、ゴルフをこよなく愛した丹羽文雄の言葉を2つご紹介!


文学に淫したと同じくらい
ゴルフにも淫した

丹羽文雄


丹羽文雄は、文壇という世界が確かに存在していたころ、巨匠と呼ぶにいちばんふさわしい作家であった。

丹羽は50歳でゴルフを始め、ハンディ6にまでなっている。決して名誉ハンディではなく、実力で得たのだ。81歳でエージシュートを達成したことでも、それは明らか。1985年、読売GCを40・41で回ったのだ。これは文壇では初のことであり、レイトゴルファーでありながらのエージシュートは、これからもそうあるものではないだろう。

丹羽のすごいところは、文学者としての偉大さもさることながら、収入的に不安定な文筆業の健康保険組合を開設したり、私費を投じて後輩文学者のために発表の場となる雑誌を刊行したことだろう。

そしてゴルフは、その普及に大いに貢献した。エッセイやテレビ出演など狂言回し的役目も買って出て、ゴルフは決して贅沢なスポーツではないむねをアピールした。

有名なのは「丹羽学校」である。元々、柴田練三郎、源氏鶏太が教えを乞うたところから端を発し、そのころの第一線の作家達が勢ぞろいして、丹羽家を訪れゴルフスクールの様相を呈したり、コンペを催したりして一大文壇交流の場として世間に広まった。

というと、猥雑さを思い浮かべる人もいるだろうが、これは全く逆だった。仲間同士のベットを嫌がったのも、プレー後勝った負けたで食堂などで騒ぎ、ゴルフの品位を落とすというのが理由であった。

この「丹羽学校」、プライドが高く、偏屈な(?)作家達が集うのだから、丹羽がいかに慕われたかが分かろうというもの。文壇という世界が希薄になった現在、これからはもうこのような場は生まれないだろう。


テークバックもダウンスイングも
あっという間の早業である

丹羽文雄


1964年、マスターズで優勝した米国のスーパーヒーロー、アーノルド・パーマーが夫人同伴で来日した。

その折、パーマーは、文壇のゴルフ両横綱、丹羽文雄、石川達三と小金井CCでラウンドしている。パワー溢れるパーマーのプレーに目の当たりにした丹羽は、その驚きを『週刊新潮』に書いている。それが表題の言葉だ。そのあとにこうも記している。

〈それでいて左肩は深く入り、ダウンスイングでは、クラブを地面に向けてひきおろし、球のあとをヘッドで地を這うようについていくのだ〉

文壇にゴルフを広めた“丹羽学校”の校長は、ラウンドの終盤に米国のヒーローから、ティーショットを「グッド・ヘッド!」と褒めてもらってご満悦だったという。

■丹羽文雄(1904~2005)

にわ・ふみお。三重県四日市市にある浄土真宗の寺の住職を務める長男に生まれる。母は旅役者と出奔。この幼児体験が丹羽の文学的バックボーンとなる。早稲田大学文学部卒業後、生家の住職に。同人誌に発表した「鮎」で注目され、僧職を捨て上京。戦時中は海軍の報道班員。戦後、風俗小説で一躍流行作家に。一方、「親鸞」「蓮如」など著し文壇の大御所的存在になる。1977年文化勲章受賞。またゴルフをこよなく愛し、50歳で始めたゴルフはハンディ6にまで上りつめ、文士がこぞって教えを乞うた集いは「丹羽学校」と呼ばれた。2005年肺炎のため自宅で死去。享年100歳。