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【ゴルフせんとや生まれけむ】金村 曉<前編>「納会コンペで優勝! スコアは104だったのに…」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、 野球解説者の金村曉氏。

ゴルフを始めたのはプロ野球に入った1年目のオフですから19歳のときです。球団の全選手と裏方さんが参加する納会でゴルフコンペがあるので始めました。本当は練習したほうがいいんでしょうけど、当時、ボクのなかでゴルフは練習してまでやることなのかという思いがあり(笑)、ぶっつけ本番で初ラウンドに挑みました。そうしたらスコアは172でした。一緒に回った人に「よく数えたな」と言われたのをよく覚えています。

その後、2回目のラウンドでスコアが120台になりました。そして3年目から一軍で投げ始めたので、そのオフから先輩たちに誘ってもらえるようになりました。12月と1月の2カ月間で10~15回くらいラウンドするようになり、スコアが少しずつよくなり、23~24歳で初めて100を切りました。

入団当初は日本ハムの本拠地は東京ドームでしたから、ゴルフは千葉に行っていました。2004年に本拠地が札幌ドームに移転してからは北海道でゴルフをする機会が増えました。

東京時代によく一緒に回ったのは田中幸雄さん、片岡篤史さん、岩本勉さん、上田佳範さん、金子誠さんです。幸雄さんはゴルフがめちゃめちゃうまくて、ボクがひどいスコアでも、ニコニコしながら楽しく回ってくれました。北海道に行ってからは稲葉(篤紀)さん、建山(義紀)さん、後輩の森本稀哲、田中賢介などと一緒に回りました。建山さんもゴルフが大好きで、フォーティーンのアイアンを何セットも持っていました。「オレ、新しいのにするから、これ、あげるわ」ともらったアイアンをいまだに使っています(笑)。

現役時代のラウンドで最も印象に残っているのは、22歳くらいのときに納会コンペで優勝したことです。ボクはゴルフ熱が高いほうではありませんでしたから、ワイワイガヤガヤと楽しく回り、スコアは104でしたが、その日はたまたまバーディが3つくらい取れました。そうしたら上限なしのダブルペリアで、隠しホールが全部ハマり、ネットスコアがアンダーパーで優勝しちゃったんですよ。上位5人になっても名前が呼ばれないのでドキドキしていたら、まさかの1位で本当にビックリしました。でも、80台前半のスコアで回っている方もたくさんいたので、何だか申し訳ない気持ちになりました。北海道では納会と納会ゴルフを定山渓温泉で毎年やっていました。でも、開催時期が11月ですから、めちゃめちゃ寒いんですよ。冬季クローズ直前のゴルフ場で、無理やりやらせてもらっていました。

ボクのゴルフは現役時代も今もドライバーがアウトサイドインのカット軌道で、調子がいいときはパワーフェードで300ヤードくらい飛ぶんですけど、調子が悪いときはOB連発でどうしようもない状態になります。プロ野球界はOBを打ったら打ち直しで、2発打ったら特設ティーから前進6打というシステムなので大変です。飛ばしたいなんて思っていないのに、軽く振ろうとしてもパンチが入ってしまうんです。それが永遠の課題ですね。

>>後編につづく

金村曉

かねむら・さとる。1976年宮城県生まれ。94年ドラフト1位で日本ハムに入団。97年から一軍に定着し、98年に最優秀防御率のタイトルを獲得。07年オフにトレードで阪神に移籍。11年現役引退。16~22年阪神投手コーチ。23年は野球解説者として活動

週刊ゴルフダイジェスト2023年3月28日号より