【ゴルフ野性塾】Vol.1758「あの夏に見た全英の夕焼けを想う」
古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。
語るにしても説明するにしても
単純な方が理解し易いと思う。
右か左か、上か下か、善か悪かは理解し易く、右と左の交錯、上と下の交錯、善と悪の交錯を理解するにはそれぞれの価値観が必要であろう。
そして、今、私が述べている想いも交錯する話と思う。
ゴルフ理論、然り。指導要領、然り。
基本と応用の交錯は少ない方がいい。理解の度合いも違えば誤解の度合いも違うからだ。
コロナ禍、私の身近で何が変ったと申せば講演会と執筆取材の旅である。
講演会はゼロになった。
取材の旅もゼロになった。
この3年、飛行機に乗る事もなく、新幹線使用の機会は大手前大学ゴルフ部員と神戸塾生の指導で福岡から新神戸に行き、そしてテレビ熊本で平成5年8月から現在迄続く、土曜日夕刻放送の月一度の「坂田信弘のゴルフ理論」収録だけとなった。
暇だ。
コロナが私を散歩好きの爺様にしてくれた。
コロナ前であればバスに乗る事はなかった。今は赤坂のけやき通り3丁目からバスに乗り、西新にも行けば天神にも行く。
以前は手を上げてタクシーを止めていたが、今はバス停に歩いて行く。そして、一番前の席に座る。最初はバス停の多さに驚いた。今は小さな景色の変化を楽しんでいる。
面倒は感じない。ただ、けやき通り周辺と舞鶴公園周辺、そして大濠に行く時は歩く。
15階を出て帰る迄、2時間から3時間の小さな旅だ。
街中に行った時、コーヒー店に入って熱いカフェオーレを飲むが、挨拶して来る方が増えた。
一度の小さな旅で一人から二人の挨拶である。
ゴルフの話が始まる。
私は聞くだけだ。
コロナ前に話し掛けて来られる方は寿司店か焼肉店だけだった。私より年下の方ばかりである。年上の方からの話し掛けはない。
上達手段は分る。ただ、それが出来ないとの相談が多い。
単純にしなさいと言う。
「ゴルフは飛距離と方向の一致へ向うものだから、二兎を得るには単純が一番。理論も実践もだ」と答える。
私も暇じゃある。
3日前、語り言葉で飛距離勘の作り方を教えた。
そして、上手く行ったら結果を報告して貰いたいと伝えた。
昨日、電話が来た。
「上手く行きました。10ヤード刻みの距離が作れました。感謝してます。これで80切れる自信が生れました。自信が付くと練習は楽しいし、時過ぎるのも早くなります。また、お会い出来ればと思います。私は西区で葡萄作りを営んでおりますが、今度、お会い出来ると分った時は持って行きます。一週間分でも一カ月分でも仰って戴ければ送りも致します」
「葡萄の出荷出来る時期は決っているだろう。無理はせんでくれ。お互い、気儘気紛れの出会いが一番の幸せだ。縁があれば戴くし、スーパーかデパート地下でアンタの作った葡萄を買う事もあるだろう。何事も基本と応用の単純さが大事だと思う。これからは冬だ。練習と工夫、頑張りなさい」
確か10日程前にも語り掛けて来た者がいた。
福岡在の弁護士だった。
コーヒー1杯とケーキ2個、馳走して貰ったが、葡萄農家の男のコーヒー代は私が払った。
ゴルフ教えて、コーヒー御馳走して、まるで坂田ジュニア塾と同じじゃないかと思った。
周りの者は人がいいと言う。
関係ないと反論する事もあったが、言えば相手の怒りを誘うだけと思い、聞いて過した。
その評価は40年前から受けて来た。だからプロとして成功しないのだと。
研修生時代を含めれば51年、レッスン頼まれた事もあったが、レッスンフィー貰った事は一度もなかった。
それが人の良さだ、と言う人もいたが、損得の計算してたんじゃジュニアゴルフ塾も進化論塾も大手前大学ゴルフ部の総監督も引き受ける事、出来なかったと思う。
振り返れば、損得計算なし、好き嫌い関係なしの日々を過して来た様じゃある。
そして今はバス停で20分待つ辛抱強さを持つ。
今日はどこへ行こう。
かざまさんは熱い想い持つ親友だった。
風の大地、でんでん虫、ひかりの空、大地の子を描いてくれたかざま鋭二さんも逝った。
今年の3月に膵臓ガンが見つかって10月死去とゆう早さだった。
親友だった。
作品の打合せ時、異なる意見が生じて熱くなる事もあったが、後に尾を引かぬ主張であり、担当編集者は熱い人達だなと感心していたと聞く。
熱い想いあれば、折れなくても折り合いは付いた。
「サンチャン、風の大地はあと何年で終るんだ?」
「5年だ」
「よし。俺、頑張る。今年は無理だが、来年、全英の取材に行こうぜ」
「行こう。ついでにタイのバンプラGCの取材も入れよう」
「いいなァ。寒い時はバンプラ、暑い時はスコットランドの全英。小学館に感謝だな。こんなにも海外取材させてくれる出版社はどこにもないぜ」
「マスターズにも行ったし、ドバイにも行った。風の連載始まって30年以上経つが、30回以上の海外取材して来たな。国内取材も多かったし、これからも続くし、続けなきゃならんな」
「俺、頑張るよ。だから原作、早く頼むよ」
「分った。一遍に2本書こう」
「有難い。それじゃあまた電話頂戴」
30年以上、かざまさんから電話来る事はなかった。
私からの電話だけであり、かざまさんは私から電話来るのを楽しみにしていたと聞く。
もっと電話すりゃ良かったか。
でも週一度の頻繁な電話は迷惑であった筈。
やっぱり月に一度の電話で良かったと思う。
私とかざまさんの関係、私がピッチャーでかざまさんがキャッチャーだった。
時には打者にもなってくれた。
そして担当編集者は審判だった。
大濠公園の夕焼けを眺める。
国内の旅、海外の旅、かざまさんと夕焼けを眺める時は多かった。
バンプラの夕焼け、全英の夕焼け、オーガスタの夕焼けが美しかった。
そして記憶に残る。
かざまさんは2つのカメラ持参の旅であり、夕焼けを撮りまくっていた時期である。
あの写真、どこにあるのだろう。
風の大地を未完の作品とするか、完結させるかはこれから次第。
私の責任は重いと思う。
今日11月10日、木曜日。
現在時午前10時55分。
晴れている。
暖房は切った。
しかし、半袖下着にダウンジャケット着込んで本稿を書いております。
「アラ、暖房切ったの?」
「暑かったから切った」
「なのにダウンジャケット着て膝と太腿にはカシミアのブランケット。それ、ちょっと変じゃない?」
「気にするな。秋と冬のはざまだ」
「確かにそうネ。私はこれから洗濯します」
6キロ洗いの小さな洗濯機から12キロ洗いの大きな洗濯機となったのに洗濯の回数は増えた様に思う。
長男雅樹は一度着ただけのシャツもズボンも脱がされている。
汗の出ない秋の終り、私は3日間着て着替える。
その内、2日間、そして毎日着替える日が来ると思う。
女房殿の趣味となった洗濯。
洗濯機は東芝製であります。
これよりファックス送稿。
そして朝食。
体調良好です。
坂田信弘
昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格
週刊ゴルフダイジェスト2022年11月29日号より