【ゴルフ野性塾】Vol.1725「朝陽と夕陽、眺める日々は幸せ」
古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。
今日3月10日。午前6時53分。
東の山の頂上が一気に24金の輝きになった。
朝の東の空、夕焼けより空を赤くはしないが、朝陽と夕陽は福岡市中央区赤坂の15階マンションに籠る私の日々の楽しみの一つである。
朝陽は素朴だ。
朝陽も夕陽も真っ直ぐに上り、真っ直ぐに落ちて行くが、朝陽が24金の輝きを見せるのは太陽の姿を見せ終えた短い時間だけであり、上り終えた後は14金に似た空になっている。
夕陽は違う。
10分以上、24金の輝きを見せて来た。
「愛にロマンを見せぬのが朝陽であり、愛にロマンを持つのが夕陽だな。だから人は2つの愛を持つ。素朴な愛と華麗な愛だ。素朴な愛は生きる者の本能の愛であり、華麗な愛は密かに生きたいと願う者の微笑みの愛だ。朝陽と夕陽を穏かな気持ちで眺められるは幸せだと思う。戦争になってみろ、朝陽と夕陽、眺める余裕なんかないぞ。生きるで精一杯、食うで精一杯になって行くんだからな」
女房と小学2年の孫の景登(けいと)と私の3人、大濠公園に行った。
けやき通りのマンションから800メートル歩けば大濠公園に着く。その美術館入り口から500メートル歩けば遊園地に着く。
夕焼け前だった。
女房と景登はブランコに乗って遊んだ。午後4時前だと空いてるブランコはないが、夕焼け近くになれば子供の遊び場で遊ぶ人はガタッと減る。
女房と景登は同じ高さでブランコを揺らした。女房殿、頑張ってるなと思った。
走るも歩くも小学2年生の男の子に勝てはしない。だが女房殿、両の足でスピードを上げ、高さを維持しながらブランコに乗っていた。振りのスピードも一緒だった。意外と若いじゃないか、女房殿、と思った。
ただ、女房はセーターにダウンジャケット姿であり、景登は半袖下着にセーター1枚の軽装だった。景登の上着は私の膝の上、女房のバッグは私の座る椅子の右隣に置いてあった。
朝陽と夕陽の話は3月6日、夕食時に語った言葉である。
「それだったら夕陽のロマンを見に行きましょうよ。ひなたか景登を連れてッ」
3月8日、景登と共に大濠公園に向った。
公園へ向う途中、景登は姿を消したり現したりの繰返しを続けた。私と女房の歩きは遅い。二人の歩きに合せたんじゃまどろっこしくて仕方ないのだろう。
それで自分一人の遊び歩きを続けながら、私達の歩きのスピードに付き合ってくれた訳だ。
ブランコの左横の石造りの椅子に座り、景登と女房の楽し気な叫び声を聞きながら戦争は朝陽と夕陽を殺す、人を殺す、愛も幸せも殺す、と思いて西の空を眺めた。
西の空が赤くなった。ブランコを見た。女房も景登もいなかった。横へ三つ連なりのブランコは動いてなかった。どこへ行ったかと遊び場を眺めれば遠くのブランコで遊んでいた。
今日、女房の夕食作る体力は残ってないな、と思った。
外で食べるか。しかし、何を食べる、と瞬時の考え巡った。
大濠公園横の中華料理店、平和楼にするか。ならば私の長女寛子を呼ばなきゃなと思い、寛子に平和楼に行くぞ、集合時間は7時と伝えた。
やったァ、夕食作る前で助かったわ、と寛子が叫んだ。
亭主は出張中であり、寛子と中学2年の長女ひなたは車で来る筈だ。10分も掛からぬ距離に寛子達は住んでいる。
住所は中央区大名1丁目の赤坂に隣接する福岡市の中心部。
私は西を眺め続けた。
赤灼けの色に変った。
雲、少なき空だった。
私の左に女房と景登が座っていた。気付かなかった。
「どうです。西陽のロマンは? 夕方の鹿沼と周防灘の練習の時、西陽に向ってボール打つ時、ありましたっけ?」
球の散り様、横は方向、縦は距離
私は鹿沼でゴルフを始め、1年で鹿沼を離れて愛知県の貞宝CCに移り、貞宝でプロテストに通り、女房と出会った後、鹿沼に戻り、周防灘へ移籍し、今は周防灘を離れて福岡市内に住むが、女房は鹿沼と周防灘の夕陽は知っている。
私の練習を雅樹と寛子に見せる為、周防灘休日の火曜日、学校終えた雅樹と幼稚園から帰った寛子を連れて周防灘の山へ上って来た。球拾いをさせた。雅樹と寛子は喜んだ。
女房と雅樹と寛子が来る時は、7アイアンで打った。
「お父さん、どうしたら勝てるの?」と雅樹が問うた。
「今、横15ヤード、縦5ヤードに球は散っているが、これが横10ヤード縦3ヤードになれば勝つと思う。横は方向、縦は距離だ」
周防灘は山岳コースであり、陽の落ちる姿は幾つかの山に阻まれて見る事は出来なかったが、赤灼けの空を見る事は出来た。
あの日から36年経つ。
そして今、大濠公園の樹林の先に沈む陽を見る。
女房と雅樹と寛子で眺めた夕陽を女房と景登で眺める。
中学2年のひなたはテニス部に入っており、帰宅時間が遅いので一緒に眺めるのは無理だ。
陽が沈む。
西の空、横一線、空が灼けた。
「雲の少ない時の空は生命力強く持つ夕焼け空だな。あと何年、この空を眺められるのかと思う。春と夏と秋と冬の季節とそれぞれの夕陽を!」
「その為にはもっと歩いて移動して糖尿病治さないとネ。景登は優しいから私達に付き合ってくれると思うの。多分、小学6年生になっても」
「今年の4月で3年生か。小学生終る迄、あと4年だな。景登、おじいちゃんとおばあちゃんに付き合ってくれるか?」
「うん、いいよ。俺、暇だから」
長男雅樹は独身である。
結婚して子供2人作ってくれれば雅樹の孫と大濠を歩く日も訪れよう。女房も雅樹も寛子も福岡が好きで、大名と赤坂も好きで今住むマンションから離れる気はないと言う。
それならば結婚しろよ、雅樹ッ。だが、結婚の気配はない。水面下の気配、感じる事はあったが、いつの間にか消えていた。
友達多く、仕事の付き合い人も多い男である。
ま、成る様に成ればそれが最善と思いて日々を過しています。
女房も雅樹も寛子も楽観の気持ち強く持つ人間であり、私は負けず嫌いの性分が楽観の気持ち表に出す性格の持ち主であり、負けず嫌いが楽観生む性格であったらと思う事は多かった。
変るものがある。変らぬものがある。人、それぞれと想いて生きて行く。
雅樹はプロゴルファーになった。今、ゴルフ指導の道を歩く。寛子は英語の教師をやっている。
女房は相も変らず、雅樹と寛子と孫2人には優しい。声は明るく、笑顔も多い。私には低い声、暗い声、そして短い言葉だ。
「親父、仕方ないな。執行猶予なしの事、やったんだから」
「忘れれば女房も楽になると思うがそれは無理か」
「お母さんの性格じゃ無理だネ。下手過ぎるよ、親父はッ」
「父親と息子で互助会ってのはどうだ?」
「俺、下手じゃないもんな。互助会は要らないよ」
今日も朝陽が空を灼いた。今日の空に雲はない。雲一つない少し霞む空。現在時午前9時3分。これよりファックス送稿。そして風呂に入ります。
読者諸兄の日々の幸せを祈る。
朝陽と夕陽、眺める日々、長く続く事を祈る。
平和であれ、穏やかであれ。
今、カラスよりも小さな鳥、北から南へ向って飛んで行った。
5羽連なってだ。
日射しは春か。
15階マンション、ベランダの壁が光っています。
一度の呼吸は深く、体調良好です。
坂田信弘
昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格
週刊ゴルフダイジェスト2022年3月29日号より