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【ゴルフせんとや生まれけむ】今浪隆博<前編>「100切りのかかった最終ホールは得点圏の打席のような緊張感でした」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、元プロ野球選手の今浪隆博氏。

ゴルフを始めたのはプロ野球の世界に入って1年目のオフですから、2007年の冬です。シーズンが終わると納会ゴルフと宴会があり、半強制的に参加しなければならない時代でした。ただ、ボクは1年目にケガをしていました。ケガで野球を休んでいる人間がゴルフをするのは印象が良くないので、納会ゴルフには参加しませんでした。

でも、実際にはケガはほとんど治っていて、ゴルフをプレーしても差し支えない状態だったんです。父親がゴルフ好きということもあり、納会が終わって地元の北九州に帰ってから、ゴルフクラブを買いに行きました。ふと目に入った小さなゴルフショップでフィッティングを受けましたが、正直なところ何が何だかわかりません。

野球は左打ちですが、もともとは右利きなので右用のクラブを買いました。オノフのフルセットを30万円くらいで購入したのですが、あとから振り返ると、ボクにとってはシャフトが軟らかすぎるのではないかという代物でした。 

そのクラブを車に積んで、1人で練習場に行きましたが、練習の仕方もわかりません。一番短いサンドウェッジを打ってみましたが、まともに当たりません。右方向にシャンクするショットしか出なくて、“なんだ、これは!?”と衝撃を受けました。野球は動いているボールを打っているのに、止まっているボールを打てないのが不思議でしたね。 

その状態で父親の仕事関係の方に初ラウンドに連れていってもらったのですが、ボールは真っすぐ飛ばないし、スコアの数え方もよくわからなくて……、自分なりに数えたスコアは200くらいでした。プロ野球選手ですし運動神経には自信があったので、もっと上手にできると思っていたんです。それがまったくできなかったのが逆にすごく面白くて、“これは楽しいぞ!”と思いましたね。

しかし当時は2軍生活でしたから、当然ですが野球の練習が最優先。ボクは毎日練習したいタイプの選手でしたから、休みの日も練習施設に行って体を動かしていました。だからゴルフをするのはシーズンオフだけで、100を切るまで5年くらいかかりました。その間、もう少しで100が切れそうなラウンドは何度かありました。最終ホールをボギーで上がれたら100が切れるチャンスが3回くらいあったのですが、ティーショットを打つとき得点圏でバッターボックスに立っているような緊張感があり、リキんでOBを打ってチャンスをつぶしていました。そのプレッシャーに打ち勝って、ようやく100が切れたときは、めちゃめちゃうれしかったですね。

それからコンスタントに100を切れるようになり、現役時代のベストスコアは80台後半くらいだったかな。日本ハム時代は、80台で回ればコンペでの順位は中の上くらいでした。ところが14年にヤクルトに移籍したら、70台で回る人がゴロゴロいてびっくりしました。これには理由があって、日本ハムはコンペに出るのが選手だけだったのですが、ヤクルトはコーチも参加するんですよ。コーチの方は皆さん上手でしたね。

>>後編につづく


今浪 隆博

いまなみ・たかひろ。1984年生まれ、福岡県出身。2006年大学生・社会人ドラフト7巡目で日本ハムに入団。14年にトレードでヤクルトに移籍。現役引退後はスポーツメンタルコーチとして活動。22年に開設したYouTubeチャンネルが登録者数13.2万人と人気を集めている

週刊ゴルフダイジェスト2025年12月2日号より