日本オープン開催!「日光CC」を読み解く<前編>井上誠一が「だまし絵」の手法で魔法をかけた難コース
週刊ゴルフダイジェスト
今年で90回を迎える日本オープンが今週、日光CCで開幕する。03年大会以来2度目の舞台となるコースは井上誠一の設計で、雄大な男体山を眺望しながらのプレーとなる。美しさと特有の難度を備えたコースを選手はどのように攻めるのだろうか。今年から優勝者にはマスターズ出場の権利が与えられることも決まり、例年以上に熱き戦いが繰り広げられるに違いない。
TEXT/Takeo Yoshikawa THANKS/日光カンツリー倶楽部


井上誠一
1908~1981。那須GC、大洗GC、龍ヶ崎CC、日光CCなど国内38コース、海外2コースを手掛けた日本を代表するコース設計家
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- 今年で90回を迎える日本オープンが今週、日光CCで開幕する。03年大会以来2度目の舞台となるコースは井上誠一の設計で、雄大な男体山を眺望しながらのプレーとなる。深堀圭一郎による逆転劇で幕を閉じた03年大会を振り返りながら、日光CCの攻略法を紐解いていく。 TEXT/Takeo Yoshikawa THANKS/日光カンツリー倶楽部 >>前編はこちら……
日光CCの建設に当たり、いくつかの候補地を検分した井上誠一は「日光町周辺にはコースとしての適地が少ない」としたが、最後に検分したのは大谷川の河川敷だった。その場所は他の候補地に対して「植生などの風致に優れ、地形も変化に富んでいる」ことから「工夫さえすれば十分建設が可能と判断してここを用地と選定した」と書き残している。
だが河川敷だったことから井上の計画書には「数多くの礫が所在することと、ほとんどすべての地域が転石で覆われ極薄い表土が堆積しているに過ぎない場所で、洪水時には冠水の危険がある」とも記述している。
コースはハウスを中央にレイアウトされ、アウト、インでは約60メートルの高低差があり「この60メートルの高低差は大体平均的に分布しているので局地的に険しい傾斜地もなく平坦でもなく望ましい地形」と井上は評価した。
大小の石を取り除く作業は多くの労を要したが、客土され芝が張られたフェアウェイは見事といえる出来栄えで、赤松とのコントラストは“一幅の絵”と表現したくなるほど美しい。自然の地形を壊すことなく18ホールが見事大地に刻まれた日光CCは、熱き戦いを静かに待ち受ける。
公共事業で造られたゴルフ場

1955年に開場した日光CCは、栃木県をはじめとする地元自治体の支援で造られた。当時の小平重吉栃木県知事と日光市出身の三菱財閥・加藤武男翁が、1952年の夏に日光金谷ホテルで会談(いわゆる日光会談)を開き倶楽部建設の決定を下した。小平知事は俱楽部設立趣旨を「世界に名を知られた日光に、観光施設としてのゴルフ場を造る」と記している
「2%勾配」というマジック

100cmあたり2cmの高低差がある勾配のことを建築用語で「2%勾配」という。人間は感覚的に2%までの傾斜は平らに見えるので、駐車場や側溝の造成において重視される指標となっている。日光CCの敷地は東西に約3km、高低差は約60m、つまり男体山から大谷川に沿って「2%勾配」となって下っている、この“知覚できない傾斜”がプレーヤーに様々な錯覚を引き起こす
ハザードを省くことで造った「だまし絵」

日光CCにはバンカーはわずか36個、池やクリークもない。だが、井上誠一は障害となる人工物をむやみに造らず、本来の地形や起伏を生かした「だまし絵」の手法で各ホールに魔法をかけた。ハザードという「道しるべ」をあえて省くことで、むしろプレーヤーの方向感覚や距離感を惑わせていく。つまりコースデザイン全体の構成力で戦略性を高めていった
世界標準の「難解グリーン」

日光CCが開場した当時、日本では受けグリーン&2グリーンがほとんどだった。だが、井上誠一は世界標準の1グリーンを採用し、さらに奥下がり、2段~3段形状などの多彩なバリエーションを造り、そこに男体山からの傾斜から生じる強い順目・逆目という要素が加味され難解なグリーンとなっている。井上の設計図にはグリーン周辺の形状など、細部まで緻密に描かれている
7番・435ヤード・パー4


井上誠一による日光CC7番グリーンの設計図
18番・424ヤード・パー4

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- 今年で90回を迎える日本オープンが今週、日光CCで開幕する。03年大会以来2度目の舞台となるコースは井上誠一の設計で、雄大な男体山を眺望しながらのプレーとなる。深堀圭一郎による逆転劇で幕を閉じた03年大会を振り返りながら、日光CCの攻略法を紐解いていく。 TEXT/Takeo Yoshikawa THANKS/日光カンツリー倶楽部 >>前編はこちら……
週刊ゴルフダイジェスト2025年10月28日号より
※コースのヤーデージは2003年日本オープン時のもの


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