【企業ゴルフ選士】Vol.22 いすゞ自動車・中村正美さん「『雑草魂』を胸に可能性を試したい」
戦うだけのゴルファーではなく、会社に認められ、選ばれたゴルファーである“企業ゴルフ選士”をクローズアップ。今回の選士はいすゞ自動車・中村正美さん。
ORGANIZER/Hironori Kogure PHOTO/Hiroaki Arihara THANKS藤沢ジャンボゴルフ
今週の選士
いすゞ自動車
車両品質管理部
車両評価第二グループ
ラインマネージャー
中村 正美さん
アメリカ出張がきっかけとなり本格的にゴルフの道へ。2014年全日本社会人ゴルフ選手権優勝を筆頭に、多くの結果を残す筋金入りの競技ゴルファー。週2回ほどホームである藤沢ジャンボゴルフでトップアマの練習会を行う
いすゞ自動車
ものを運ぶ商用車と、動かすディーゼルエンジンを開発・製造・販売し、世界中の豊かで快適な暮らし創りに貢献。“地球の「運ぶ」を創造する”をスローガンに、カーボンニュートラルへの対応や進化する物流への貢献など、新たな「運ぶ」の価値を提供する
常に競技ゴルフが
ど真ん中の人生
高校卒業後、いすゞ自動車株式会社へ入社して以来、40年近く同社の車両評価業務に従事する中村正美さんは、20年以上にわたり全日本クラスの競技に出場してきた競技ゴルファー。中村さんの“ゴルフばか”ぶりは社内でも有名だというが、始めた時期は意外と遅い。
「22〜23歳の頃、先輩から社会人のたしなみとして勧められるがままに始めました。クラブは先輩のお下がりを使い、せいぜい月1回ラウンドする程度でしたが、28歳でハマりました。当時、何度か出張でアメリカへ行く機会があったのですが、仕事終わりに1ラウンドという日々を繰り返すうち、なんだか面白くなって」
そこからは早かった。帰国後すぐにデパートへ走り、ホンマのエクス90にウイルソンスタッフ、ピン・アイ2を購入。
「当時の給料の倍以上した記憶がありますが、とにかく嬉しくて。出社前に会社近くの藤沢ジャンボで1カゴ打ち、仕事が終わって駐車場で素振りを日課にしていました。当時はゴルフ場の予約を取るのが大変でしたが、会社の仲間で小田原GC松田コースに顔が利くメンバーがいたので、5年後に会員権を買いました」
目標を達成し
競技アマの道へ
すでに月イチゴルファーから脱皮していた中村さんは入会直後にハンディキャップを申請し、HC14を取得。次第に競技ゴルフへ興味が湧き、「ハンディ3になったら試合に出よう」という目標を胸に、さらに熱量は高まっていった。とはいえ熱血サラリーマン全盛の時代。思ったように練習時間を取れない日もあったが、駐車場での素振りだけは欠かさず行った。5年で目標を達成し、神奈川県アマ協会の研修会に参加したが、いざ競技アマの門をくぐると、そこに“同類”はいなかったという。
「周りを見渡すと、会社の社長さんであったり、お金と時間に余裕のある人だらけで、会社勤めなんて僕だけ。当時はサラリーマンっていうだけでばかにされたこともありますが、『絶対に負けたくない』と、さらに頑張りました」
雑草魂のなせる業か、翌年にはハンディ0になり神奈川県アマに出場。なんとベスト10入りを果たした。クラチャンは5回以上、クラブ対抗のメンバーにも選出され、順風満帆の競技ゴルフ人生が始まった……と思いきや、現実はそう甘くはなかった。
逆境を越えるたびに
根を張り強くなる
「一番つらかったのはリーマンショックの頃でした。社内ではリストラの声が聞こえ、会社自体も苦境でした」
マネジメント側にいたことから仕事は多忙を極めた一方で、家計は大ピンチ。しかしゴルフをやめる選択肢はなかったという。
「すでにゴルフは趣味というより『どこまで行けるか』を試す場だったこともあり、続けるためにどうすべきかを考えていました。インターネットでロストボールをまとめ買いし、練習は素振りがメインでした」
とはいえ踏まれるほどに強くなるのが雑草。この時期に関東社会人ゴルフ選手権2位、神奈川県ミッドアマ6位など、多くの好成績を残した。さらに「55歳からシニアなので、日本シニアアマで上位に入り、日本シニアオープンに出場したいですね」と中村さん。ところでゴルフが仕事に役立ったことは?
「試合って運送業界の人が結構いて、トラックの注文をいただくことが多いんです。『車両評価が本業なのに、営業より売っているね』なんて言われることもよくあって(笑)」
終始明るい物言いに、いろいろなものを引き寄せる力を感じずにいられない。日本シニアアマを「最後にひと花」というが、この調子なら、何輪も咲かせそうだ。
中村正美さんの14本セッティング
週刊ゴルフダイジェスト2025年1月28日号より