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【ゴルフ野性塾】Vol.1825「私は手綱を握り締める性分」

古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。

前回のお話はこちら

3パットした後、
喉の渇きを

意識した事がある。
研修生時代の研修会だった。
研修会には80名程のゴルフ場所属の研修生が出場し、上位3名がプロテスト出場権を得る。
プロを目指す研修生には人生を賭ける1年20ラウンドの競技会で、私は喉の渇きを感じていた。

3パットでゴルフの流れが変った。
脈をみた。
変化は見えなかった。
喉が渇いただけか、と思った。
喉が渇くとゆうその程度の緊張で次のティーショットに不安を覚えるのか、と思った。
3パット如きに一憂する己の弱さに腹が立った。

次のティーの間に売店があった。売店外の水道水を飲んだ。
水を飲んでも渇き止まらぬ気がした。
実際、止まらなかった。
お腹が水腹になった。
それでも飲んだ。吐いた。
飲んだ水、全部吐いたと思う。
吐き切った後、飲んだ。
今度は吐かなかった。
次のティーショット、最高の球が打てた。

手綱を緩められるかがプロの分水嶺。

いつもの自分と違って、パーが続いたり、バーディが取れたりすると、途端にプレッシャーがやってきて、自分に良からぬ暗示をかけて、必ず自滅してしまいます。プロは思った以上のスコアが続くとき、その勢いのままイケイケで回れるものなのでしょうか。(静岡県・佐々木陽・38歳・ゴルフ歴7年・平均スコア100)


走る勢い持つ蒸気機関車のカマに石炭を放り続ける事の出来る性分か、これ以上、火力を増せばカマが燃焼圧に負けて爆発してしまうんじゃないかと思う性分か、で目指す方向は生れると思います。
貴兄は後者の性分だ。
どこかに心配性を持つ性分である。
スコア伸びる程に丁寧さ、慎重さ、見せてくる性分でもあろう。
私がそうだった。

勢いを作り、勢いに乗り、勢い維持したままでラウンドを終る人間に丁寧さ、慎重さは無用のもの。
それは行く時、行ける時、行き始めた時は勢い、旗頭にして球に向える者の姿である。
私はコースレコードを6つ作っているが、その6つ総て満足出来たラウンドじゃなかった。
どこかで勢いにコントロールを入れていた。
手綱は引くも緩めるも握るも手放すも御者の判断。
己の体に当る風を心地良き風と思うか、スピードの出し過ぎと不安を覚えるか、で手綱の御し様は変ると思う。

私は不安を覚えるタイプであった。
貴兄と同じ性分だ。
それではプロで食って行くは難しいと分っていても性分が先に出た。
私と同じ性分でもプロで生きては行ける。
だが、賞金だけで生きて行けるプロにはなれない。
賞金だけで生きて行けるプロは手綱を締めるか、緩めるかの択一の時、緩めるを選んでいる。
超一流プロは緩める手綱捌きはせず、手放してしまう。

私は握り締めた。
肩にも腕にも腰にも脚にも力が入り、己の立つ姿勢を制御するだけで精一杯の御者であった。
今であれば手放せるかも知れぬ。ただ、それとても定かではない。
やはり性分が先に出て握り締めて引っ張るかも知れない。
自信なしだ。
性分とゆうのは考え様、眺め様によっちゃ厄介である。

成功者はどっかで己を客観的眼線で眺めていると思う。
その眼線を楽しんでいる様な気もする。
私もその眼線は持っていた。
成功者、失敗者、挫折の者、誰もが持っていると思うが、成功者は己の眼線に楽しみを覚え、失敗した私は己の眼線に苦しんでいた。
その違いが成功と失敗の対岸を生んだと思う。

私は塾生への指導の後、塾生の前でこれまで色んな話をしてきた。
失敗した者の話はせず、成功した者の話ばかりをした。
塾生達は坊さんの訓話を聞く様な心構えで私の前に座って聞いていた。
それがプロ合格者数92名を生んだ一つの理由ではなかったかと思う。
厳しさばかりじゃ育たない。
甘さだけでも育たない。
体・技・心、総てに於いてそうだ。

スッと気持ちの中に沁み込んで来る憧れの話、目指す人間の姿話も必要だったと思う。
怖いのは親の勘違いだけだった。
我が子を強く想う程に一直線一途の道は出来る。
それは善なる道である。
ただ、二つの別れ道、三つの分れ道の前に立つ時もあろう。
この時、勘違いが選択を誤らせる。近年、この傾向が強まっている。
プロ転向を申し出て来た時、私がプロ転向するのはまだ早いと言わなかった者はプロで成功している。
早いと言った者は挫折した。

私は性分を見た。
戦う事、好きな性分の者は皆伸びの力を持つ。
ズーッと背伸び続けていればその内、その背伸びの身長は己の身長となって行く。
転向、まだ早いと言った者も背伸びしていた。
だが背伸び続けて行く事出来ず、疲れて踵を戻す。
己の身の低さに気付く。
そして徐々に諦めの気持ち、強まって行く。
最後は戦う事、どこ迄好きか、貫く事出来るかである。

ゴルフが好きでは貫き通せぬ。
ゴルフは戦い事である。
野球然り、サッカー然り、他の競技然り。
戦う事好きであれば背伸びの身長、いつかは己の身長とする事は出来る。
好きであれば勢いに乗ったゴルフは出来る。
そんなゴルフを目指していく。
だが、戦い事、好きでなければ手綱を引く。
丁寧さ、慎重さで勢いは作れぬ。結果を考えぬ、怖れぬ蛮勇が要る。

ゴルフは幼い頃から始めた方が有利との説、聞くが、5歳で始めても18歳で始めてもスウィングの出来様、然して変りはしないものだ。
勢いに乗れる性分、作るには幼さ要る。
ただ、そこを指しての説である。
物事に対しての誤解が多過ぎる。
特に稽古事、鍛錬事、競技事の領域で。
私は高校一年の時から哲学書を好んで読んだ。
心理学書も読んだ。
カント、ヘーゲル、ルソー、ニーチェは分らないままに読み続けた。
根気だけ持つかぶれ青年だった。
そのかぶれ時代が私に一つを与えた。
物事に対しての誤解、理解の浅さ薄さ、少なきゴルフ理論である。

私は貴兄と同じ手綱、握り締めて来た人間。
貴兄の気持ちは分る。
己の弱さ、眺める辛さも分る。
プロで成功した者は勢いに乗る。
理屈なし、不安なし、で来る。
私は乗れなかった。
悔い多き日々を過して来た。
悔いの小山、幾つも作って来た。
成功しなかった者の悔いの山は小さい。
数、多いだけだ。
成功した者も悔いは持つ。
ただ、数は少ない。
そして、成功した者の悔いの山はやけに大きい。

私は小者であった。
これから先は知らぬ。
興味もない。
日々、然り気なくと思って過すだけ。
それで充分。我が身の丈に合った日々と思う。
貴兄の日々の幸せを祈る。     

坂田信弘

昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格

週刊ゴルフダイジェスト2024年5月21日号より

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