【インタビュー】金谷拓実<前編>「国内では迷わず”優勝”と言えるけど、海外ではそれが言えなくなる……」
23年、最後まで賞金王争いを繰り広げ、ランキング3位となった金谷拓実。21~22年にかけて、“闇落ち”した金谷が、24年、自身の影を振り払い、這い上がり、進化を遂げる。
PHOTO/Tadashi Anezaki
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- 2021~22年は思うような成績が挙げられず苦しんだ金谷拓実だが、23年はアジアンツアー1勝、国内ツアー2勝と気を吐いた。今年はどんな進化を遂げるのか。金谷の内面に迫っていく。 PHOTO/Tadashi Anezaki、Shinji Osawa 金谷拓実 1998年広島県出身。15年の日本アマで最年少優勝。18年にアジアパシフィックアマを制し19年、マスターズで予選突破、秋……
目標がないと
行動しないし心も動かない
金谷拓実は、2024年の元旦を瀬戸内海の船上で迎えた。これは金谷にとって初めてのことだ。
「知人が初日の出を見ようと誘ってくれて。今までは、年末年始に地元に帰っても、ゴルフばっかりやっていたから……」
元旦からゴルフをする。それも一人で黙々と。これが金谷のスタイルだった。金谷にちょっとした変化を感じる。
「でも、2日からは練習ですよ。昔からお世話になっている郷原CCに挨拶にも行きたいですし、ありがたいことに、すぐにソニーオープン・イン・ハワイに出られることになりましたから。そして次は、欧州ツアーの中東の試合にエントリーして、順番が来ることを待ちながら準備していくだけです」
目標に向かって準備する。これも金谷のスタイルだ。
金谷は2023年、早くも2月にアジアンツアーのインターナショナルオマーンで優勝した。自身2年ぶりの優勝、プロ入り後、海外での優勝は初めてだった。
「前週に昨年の初戦、サウジで試合があって、ギリギリ予選通過したんですけど、自分の調子はよかったんですね。でも3日目、4日目もすごくいい球を打てているのに、ピンが端に振ってあったりすると、自然とグリーンの広いほうに飛ぶんです。ショートサイドに外したくないんですよ。自分でも気付いていたんですけど、キャディさん(ライオネル・マティチャック氏)が『今日、めっちゃビビってプレーをしてた』と。だからオマーンでは、練習ラウンドからずっと、『今週はもうターゲットだけ見て、そこに打つことしか考えない』と言いながらプレーしていました。それを貫いて優勝できた。自分のプレーに自信を持ち、ハザードなど関係なく打つことはすごく大事なんだと気付けた試合でした」
金谷は21~22年にかけて、どん底に落ちた。海外挑戦するも予選落ちばかり。そのうち自分が何をしているのかさえ、わからなくなったと言う。
「アマチュアからプロになってすぐは何も怖くないから、自然と一打一打に対して集中してプレーできていたけど、21~22年のプレーがよくなかったから、恐れながらプレーしてしまうんです」
プロ仲間が皆、「メンタルが強い」と口をそろえる金谷だが、本人は大きく首を横に振る。
「いや、めっちゃビビッてるから」
一度落ちた気持ちは、なかなか上がってくれない。
オマーンの優勝で弾みをつけ、賞金王を狙って臨んだ日本ツアーでも、開幕から結果が出ていたように見えた。
「やっぱりでも、恐れながらプレーする自分が出るんですよね。するとトップ10には入れても勝つということにはならないんです」
しかし、6月には、ツアー選手権で国内メジャー初優勝。
「もちろん嬉しかったです。でも実はその前週、地元(広島)の近くでミズノオープンがあって(JFE瀬戸内海GC)、母が病気後、久々に見に来る試合だったので、目の前で勝ちたいと強く思っていました。でもそのときも、最終日最終組で回ったのに、あまり前向きにプレーできていなかった。勝負に徹し切れないというか。母に優勝を見せられずすごく悔しかった。それが次週のツアー選手権につながりはしたんですけど……」
自分が思い描くプレーができてこそ、自信は生まれる。
試合後、母と電話で話をした。
「僕が少し落ち込んで、『優勝を見せたかった』と言ったら、14番のパー3を挙げて『やっぱり左のミスが多いねえ~』なんて。ダメなところを次々指摘されて、母親らしいんですけど、だんだん話をしていてイライラしてきたんです(笑)。今、母は時間があるから、いろいろな選手のプレーを見て、すごくゴルフに詳しいんです」
それでも、「思ったより元気になってよかった。薬を飲んでいるから、それはしんどそうですけど」
と、笑いのなかに安堵と心配が見え隠れするのも金谷らしい。
夏には、海外メジャー、全英オープンの出場権を得た。
「全英は自信を持った状態で臨んだつもりでした。調子も悪くなかった。初日も16番までは1アンダーとまあまあよかったんですけど、上がり2ホールでボギー、ダボ。これが実力なんですけど、このミスがいい例え。やっぱり自分を信じ切れていないんです。キャディさんにもすごく言われます。『ここぞの試合のとき、ちゃんと勝てると思ってるのか』って。思っていないことはないけど、どこかでビビッてるんでしょうね。国内で試合前の囲み取材を受けるときは、目標を聞かれて『優勝以外何があるの?』と思えるけど、全英など海外の試合に行くと、それを言えなくなるという……そういう弱さが出てくるんだろうなって。結果を恐れずに自分の力を出し切って失敗するならいいんですけど、そうする前に終わってしまった」
23年の日本ツアーはトップ10に13回、優勝2回。納得してはいないから自分を磨き続ける。「もっとトレーニングしてスピードを出したいし、ケガもしたくない。左のミスもなくしたい。プレッシャーがかかった場面で、自分が思うよりクラブスピードは出ます。そうならないように、普段から歩くスピードをゆっくりにしています」
金谷は幼い頃から、前のめりに“闘っている”姿勢を出す選手が好きだ。プロ入り後すぐは、「目標は予選通過です」と言うことが好きではなかったし、「出るなら一番を取る」、それが当然持っておくべき気持ちだと思っていた。
「僕も最初の頃はどこででも言えていたんですけど、自信がなくなってくると、口に出せなくなってくるんですよ。昔は、気持ちが強かったし、怖いものがなかった。ワクワクばかりで」
プロになり、結果も求められる、自分の居場所はもっと先にあると思って頑張り続ける。様々な“前のめり”が金谷を縛っているのか。しかし、その先にしか、道はないことも知っている。
秋にはフジサンケイクラシックで優勝。ここから賞金王争いに入っていく。ここにも気持ちの弱さが出たと金谷。
「最後の5連戦は、焦っていました。いろんな情報が入ってきて。VISAのときまでに1位だったらPGAのコーンフェリーツアーの予選会に出られるとか、欧州ツアーも賞金王か2位かで出られる試合が全然違うのも知っていたし。2年前は目標ではなかった『賞金王』が、それになることで、海外につながる。それが頭を巡って、なんだかもう、全然ダメでした」
金谷の目標は、あくまでPGAツアー。そこにブレはない。
「目標がないと、それに対しての行動もしないし、心も動かない。小平(智)さんの、ああいう一生懸命な姿がすごく好きなんです」
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- 2021~22年は思うような成績が挙げられず苦しんだ金谷拓実だが、23年はアジアンツアー1勝、国内ツアー2勝と気を吐いた。今年はどんな進化を遂げるのか。金谷の内面に迫っていく。 PHOTO/Tadashi Anezaki、Shinji Osawa 金谷拓実 1998年広島県出身。15年の日本アマで最年少優勝。18年にアジアパシフィックアマを制し19年、マスターズで予選突破、秋……
週刊ゴルフダイジェスト2024年1月23日号より