【ゴルフせんとや生まれけむ】宮川一朗太<前編>「きっかけはオヤジと一緒に楽しみたくて…」
ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、 俳優の宮川一朗太氏。
16歳の時、森田芳光監督の「家族ゲーム」でデビューして以来、芸能生活は40年になりました。結構長いことやっていますが、ゴルフ歴も負けていないんですよ、何しろ20歳くらいからやっていますから。料理人だったオヤジが大のゴルフ好きで、自分の店が休みの日曜日というと必ずゴルフ。だから、子どもの頃はオヤジと遊んだ記憶がほとんどなくて、僕からしてみればゴルフはオヤジを奪う憎きスポーツ(笑)。小さな止まっているボールを打って穴に入れるのが何で面白いんだろうとずっと思っていました。
父親はもともと亭主関白を絵に描いたような昭和の頑固オヤジでした。ところが50歳を過ぎて病気をしたこともあり、ずいぶん優しくなった。そんなオヤジと一緒に何か楽しみたいなあと考えるようになったんです。となったら、もうゴルフしかない。「ゴルフを始めてみようかなと思っているんだけど」と言ったら、すぐに練習場に連れて行ってくれましたけど、まあ、うるさい、うるさい(笑)。構えると「スタンスはそうじゃない。グリップはこうだ」、打とうとすると「ちょっと待て。方向が違う」とか。止まっているボールを打つだけなのに何で一つ一つそんなに細かくチェックしなくちゃいけないんだ、と。でも、いざ打ってみるとボールにまともに当たらないんです。当たっても練習場の左から右に大きく曲がっちゃう。「何で真っすぐ飛ばないんだろう」と悔しかったですねえ。
当時、僕は晴海に住んでいたんですけど、そこから3カ月くらい勝鬨橋(かちどきばし)のところにあった練習場に毎日通いました。オヤジが初ラウンドでもグリーン周りさえしっかりやっておけば何とかなるというので、7番アイアンで転がして寄せるというのをずっと練習していました。オヤジが大多喜CCと南総CCのメンバーだったのでコースデビューはそのどっちか、たぶん南総だったような気がするんですけど、定かではありません。
でも、今でもしっかり覚えているのは前半も後半も55だったこと。すると、めったに僕を褒めないオヤジに「初ラウンドで110とは、大したものだ」と言われて、自分でも「天才じゃないか」と思いましたよ(笑)。となると当然「これは面白い! オヤジ、また行こうよ」となりますよね。どんどんのめり込んでいって、そこから3カ月でハーフ50が切れました。もう一方のハーフは崩れて100切りとはいきませんでしたが、上達していくのが自分でもわかって楽しかったですねえ、この頃は。そこからまた3カ月で100が切れましたが、その先は100を行ったり来たり。初めて100を切った時、99でしたが、最後に2メートル弱の微妙な距離のパットが残ったんです。優勝のパットというのはこんな感じなのかもしれないけど、これはしびれました。入った時の感激は今でも忘れられません。ただ、100が切れたという達成感が強すぎて、燃え尽きた感じになってしまった。さらに、日曜日に競馬の仕事が入ったりして仕事が忙しくなってきたこともあって、自然とゴルフから遠のいちゃったんですよ。
宮川一朗太
みやかわ・いちろうた。1966年東京生まれ。16歳の時、映画「家族ゲーム」でデビュー。貴重なバイプレーヤーとしてドラマ、映画などで活躍するほか、声優や競馬中継のキャスターなどで幅広く活躍している。ベストスコア93
週刊ゴルフダイジェスト2023年8月22・29日合併号より