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【名手の名言】ボビー・ジョーンズ「マスターズなどというおこがましい名称には反対だ」

レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は“球聖”ことボビー・ジョーンズの含蓄のある言葉を2つ紹介しよう!


マスターズなどという
おこがましい名称には反対だ

ボビー・ジョーンズ


年間グランドスラムを達成し、28歳の若さで競技ゴルフから引退した球聖ボビー・ジョーンズ。偉そうな倶楽部ではなく、ただ仲間たちとゴルフを楽しむためだけに、故郷に盟友クリフォード・ロバーツと共に設立したのが、ご存知オーガスタ・ナショナルGCだ。

財政・運営面を担当したロバーツは、アイゼンハワー元大統領の財務を仕切るほどの大物実業家。超保守主義で「私の目の黒いうちは黒人は出場させない」という人物だった。当然、オーガスタを権威あるコースにしようとしたし、そこで開く試合を、名手たちの集う「マスターズ」と名称にしようとしたのもうなずける話だ。

だがジョーンズは「生涯を通じて、平日は仕事をし、週末にコースで遊ぶという平凡なゴルファーとして行動した、ただ一人の人物」と作家のポール・ギャリコが評した人柄。仲間同士のささやかな試合に「マスターズ」などという大それた名前を付けることは“おこがましい”と感じたのだ

ロバーツとて、ジョーンズとは大学時代に知り合い、意気投合し、彼を顕彰しようとしてオーガスタ設立を思い立ったのだから、反対も何もなかっただろう。

結局、大会名は「オーガスタナショナル・インビテーショントーナメント」という名前に落ち着いた。ジョーンズの意図した通りだった。

しかし、大会そのものが自然に権威を増して――ジョーンズを慕って当時の超一流選手が招待を望み、彼らが歴史をつくっていった。もはや仲間うちだけの大会ではなくなってしまったのだ。

インビテーションの名は1934年から38年まで。39年からはマスターズの名前でメジャーの仲間入りをして数々の伝説を残していく。

仲間うちだけの楽しい集いにしようとして、その仲間によってかくも偉大な大会になっていったのだから皮肉な話である。

泉下の球聖は今、何思うだろうか。


ゴルフはスコアがすべてではない
むしろスコアに納まりきらない部分に
ゲームとしての魅力があるのだ

ボビー・ジョーンズ


スコアカードに書かれた同じ「4」という数字でも、その中身はひとつとして同じものがない。

ティーショットがフェアウェイ、セカンドもナイスショットでグリーンオン、パットを寄せて難なくパーというパターンもあれば、ティーショットが右の林、セカンドを横に出して3打目でかろうじてグリーンをとらえ、15メートルのロングパットがカップに転がりこめばそれもパー。

前者が限りなくバーディに近い3.5のパーなのに対し、後者はボギーと紙一重の4.4のパー。四捨五入すれば同じ4だが、スコアカードに書かれない小数点以下の数字にこそ、ゴルフというゲームの面白さ、ミステリアスな魅力があるとジョーンズは語っているのである。

プレーヤーとしての実績だけでなく、頭脳も明晰であったジョーンズの言葉は人生の機微、示唆に富んでいるものが多いのだ。

■ボビー・ジョーンズ(1902~71年)

米国ジョージア州アトランタ生まれ。父親がゴルファーで生家も庭がゴルフ場続きでもあり、5歳で自然にクラブを握る。14歳で全米アマ出場後、数々の選手権に優勝。1930年には世界の4大タイトル、全米、全英両オープン、両アマに優勝、年間グランドスラムを達成。この記録はいまだに破られていない。全英オープンに勝ち、祖国に凱旋した時は国民的英雄となった。これを契機にアマのまま引退。故郷アトランタに戻り弁護士活動の傍ら、オーガスタナショナルGCを設立、マスターズ・トーナメントを主宰した。

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