【企業ゴルフ選士】日立システムズ・溝田一夫さん「諦めないことの大切さを団体戦が教えてくれた」

戦うだけのゴルファーではなく、会社に認められ、選ばれたゴルファーである“企業ゴルフ選士”をクローズアップ。今回は、日立システムズの溝田一夫さん。
ORGANIZER/Hironori Kogure PHOTO/Tsukasa Kobayashi THANKS/北谷津ゴルフガーデン

関東甲信越支社
第一営業本部
本部長
溝田一夫さん
社会人4年目に参加を命じられた会社のコンペで初めてゴルフクラブを手にした典型的な社会人ゴルファー。そこから奮起し、30代後半でシングル入りしてから始めた競技ゴルフに魅了され、現在は同社ゴルフ部の部長を務める。

日立システムズ
さまざまな業種の課題解決で培ってきた業務知識やノウハウを持つ人財が“One Hitachi”でLumada事業を中心に展開することによりデジタル変革を徹底的にサポート。環境・社会・企業統治を考慮した経営を推進することで、真に豊かな社会の実現に貢献する
51歳で入部した
遅咲きの大黒柱
日立システムズの溝田一夫さんは1990年の入社以来、一貫して営業畑を歩んできたゴルフ選士。現在は民間や公共に向けたDXソリューションの営業部隊をまとめる傍らで同社ゴルフ部の部長を務めているが、ゴルフとのなれ初めは、決して良かったとはいえないようだ。
「入社して3〜4年経った頃にゴルフ場に向けたシステムの営業を担当することになり、パートナー会社さんとのコンペに参加したのが初めてです。ラウンドしたのは千葉国際CCで、スコアは140〜150くらいだったと思います」
それまでゴルフはほぼ未経験。クラブハウスの豪華さやコースの景観を味わう暇もなく、「常にコース内を走っていた記憶しかない」と苦いデビュー戦を振り返る。しかし、ここで嫌になるかと思いきや、早朝から河川敷コースへ通い、夜は練習場で球を打ちまくって腕を磨いたというのは意外。いろいろな誘いもある20代、嫌にならなかったのだろうか?
深夜の球打ちは日常
早朝ゴルフも当たり前
「東京で一人暮らしをしていたので、ほかにやることがなかったこともありますが、走らないで済むにはどうしたらいいだろうと考えた結果、練習しかないと。そうしていくうち『枠内へ打つにはどうしたら良いだろう』とか『番手通りの飛距離を打つには?』といった感じでどんどんハマっていきました。とにかく上手くなりたいと思い、ゴルフ雑誌も片っ端から読みあさっていましたね」
20代半ばだった溝田さんは「練習もコースも行ける時はとにかく行く」と意気込み、仕事帰りに当時24 時間営業だった埼玉スポーツセンターで球を打ち、週末はそのまま朝霞パブリックGへなだれ込んで早朝ラウンドをすることも少なくなかった。その後も上達意欲はとどまることを知らず、転勤をきっかけに加速する。
「転勤で地元の福岡へ戻ったときに夜須高原CCのメンバーになりました。当初、1人だった私を誘ってくれたメンバーさんのほとんどが年長者でしたが、技術だけでなくマナーやゴルフとの向き合い方も教えてくれました」
ここでハンディを取り、研修会にも入った。クラブ競技にも出場し、待望のシングル入りを果たしたが、「ほかにも多くの宝を手にしました」と溝田さんはほほ笑む。
ゴルフ部に入り
「負けていられない」
溝田さんがゴルフ部へ入ったのは51歳。存在自体は知っていたが、地方勤務だったことから入部は叶わず、再び東京へ転勤となった直後に待ってましたとばかりに入部した。
「自分もゴルフに対する熱意はあるほうだと自負していましたが、ここにはもっとすごい人がたくさんいて、『負けていられない』と刺激を受けました。入部してから技術やフィジカル面で多くのことを学びましたが、何より出場4人中3人のスコアが採用されるという団体戦の形式によって、最後まで頑張ることの大切さを痛感したことを覚えています」
いくら調子が悪くても、さらに叩いた選手がいれば自分のスコアが採用される。気持ちが折れてしまったら、頑張っている他の選手に迷惑をかけてしまうのだ。
「大切なのは試合結果だけではありません。私自身、会社の看板を背負う身として恥ずかしくないゴルフをしなければいけませんし、部員たちにもそう願っています。とはいえ試合に出ることが全てではなく、ゴルフを楽しむことも必要。そのあたりの気持ちをうまくひとつにして、我が社のゴルフ部の存在価値をどう高めていくか、日々考えています」
ゆっくりとした穏やかな語り口の裏に気持ちの強さが見え隠れする。福岡で、東京で、教わってきた大切なこと。今度は伝える側だ。
溝田一夫さんの14本セッティング


週刊ゴルフダイジェスト2025年4月15日号より