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「日本障害者オープン」の舞台ウラ<後編>「選手の笑顔を見て救われた」コースの挑戦、選手たちの願い

「日本障害者オープンゴルフ選手権」が今年も開催された。前編に引き続き、開催コースのスタッフに話を聞くとともに、出場した選手の想いについても聞いてみた。

PHOTO/Yasuo Masuda 

>>前編はこちら

  • 障害者ゴルファーの日本一を決める「日本障害者オープンゴルフ選手権」が今年も開催された。第29回目を迎える本大会、ここまで長く続けられた理由、これからの課題は何か。まずは、主催者、そして開催コースのスタッフに話を聞いた。 PHOTO/Yasuo Masuda >>後編はこちら 大会をサポートするボランティアたちの想い 大会を主催する日……

「しっかり準備できれば可能になることは多い。
事前の話し合いも大事です」(原中キーパー)

4人乗りカートのフェアウェイ乗り入れに関しては、普段から誰でも可能にしているので何の問題もないと言う。グリーンキーパーの原中氏は、「雨で地面がゆるくなったり、猛暑続きで雨が降らない時、冬場に雨が降って乾きが悪い時以外は大丈夫です。九州では、乗り入れができないゴルフ場のほうが少ない。プレー時間も早いですし、コースに負担がかかるわけではない。支配人も、乗り入れたら少し地面が締まると言う考え方です」

同クラブの競技も、九州ゴルフ連盟の試合も、カート乗り入れ可能で行っているという。キーパーとしては、やはり車椅子ゴルファーが未知数だった。

「グリーン上に車椅子が乗った時にどうなるのか、コースのどこまで入っていくのかが気になっていました。傾斜地に入ると危険ですから。でも、問題はありませんでした。グリーンが柔らかければタイヤの跡でへこむかもしれないので、そこは後でケアする。また、バンカーから出られなくなったら手伝いをしようと準備していましたが、入れない場所は青杭で対応していたので大丈夫でした」

ただ、2人が必要だと感じたのは事前の打ち合わせ。

「もう少しあったほうが準備できる。準備ができれば不安はなくなります。今回、OB杭の場所も、自分たちである意味勝手に易しい感じにしましたけど、どこまでセッティングしたらいいか、また昼のメニューなどもです」(原中氏)

「実は当日急に車椅子の充電をしたいと言われて。することは問題ないのですが、事前に台数などのお話しがあれば、場所も考えたり準備できた。ある程度のマニュアル本があるといいのでは」(原氏)

選手たちからも大評判だった昼食。豚汁やカレー、かしわ飯おにぎりなどで“おもてなし”。「採算度外視で準備しました」(原氏)

(右から1人置きに)麻生飯塚GCの森山泰行(社長)、藤井久隆(支配人)、原幸志(運営業務課長)、そして明るく楽しいキャディさんたち

さて、実際選手たちに付いたキャディさんたちに話を聞こう。

「車椅子の方はどうプレーするんだろうと少し不安でしたが、一切問題などなく、逆に細かい動きが“テクって”いてすごかった(笑)。椅子が回転する車椅子を自分で作っているそうです。片マヒの方には傾斜がないところにカートを止めたり、滑りそうなところは避けるように気を付けました」(歴17年・園上真衣さん)。「めちゃくちゃ楽しかった。クラブを箒みたいに持って瞬発力で200ヤード飛ばす。義足の方もすごく飛びます。いろいろと手伝う必要があると思っていましたけど、普通のお客さんと変わりません」(歴22年・山下香奈さん)。「自分の小ささを痛感した。心が洗われました。めっちゃいい方たちでしたよ」(歴13年・栗谷沙織さん)

支配人の藤井久隆氏は、「雨が降ったのでグリーン上に輪が残っていた部分もありましたけど、半分予想していたから大丈夫でした。何より選手の笑顔を見て救われました。やってよかったです」

実際に取り組んでみれば、想いは共有できる。こうして障害者ゴルフの“場”が増えていけばいい。

選手たちの願い

今回グランプリの部で優勝したのは“義足のプロ”吉田隼人。昨年のリベンジを果たして4勝目。「昨年は残り3ホールでOBを出して逆転負けしたので結果にはホッとしています。この大会は、全国から人が集まってくるのがいい。障害者のコミュニティは少ないんです。大会に出ることで同じ障害の人にも会えるし悩みも相談し合える。出るからには頑張ろう! という気持ちになれるのもいいんです」と、障害者ゴルフを引っ張る存在としての言葉で締めくくる。

初参加の貞乗重明さんは、脳梗塞で体の左側が片マヒとなり、大好きなゴルフを諦めかけていた。

「リハビリのスタッフたちが薦めてくれた。7年ぶりにコースに来ました。以前は年間100ラウンドして『お前はゴルフ場で死ぬ』と言われていたんです。今回の参加、途中でやめようと思ったけど、周りの皆がボールに1つずつメッセージを書いてくれて、やめられなくなった。やっぱり諦めきれんのやろうね。でも、まだこんな楽しみがあったのかと思えました」

「周りに薦められて再開。諦めきれんのです」(貞乗重明)

以前は当たれば300Yの飛ばし屋。ボールには「いつまでも飛ばし屋で……」。「皆ハンディがあるのにすごい。横着しないで練習せんといかんね」

ボランティアとしての参加、廣田典子さんは、当初はご主人の和実さん(右片マヒ)のサポートで大会に来ていた。

「一緒にプレーするのもいいかなと。やるなら習ったほうがいいとスクールに行きました。ゴルフは年代関係なくできますし、こんな気持ちいい場所はないですよね。今は主人と一緒ではなくても楽しいですよ。主人は気にして教えたがる(笑)。DGAにはいいメンバーばかり。ボランティアにもご主人が倒れた方もいるし、同じ話ができる仲間がいる。気分転換にもなっていいんです」

「若い人たちからパワーをもらえます」(左・廣田典子)

14歳の中島早千香さん(先天性上肢欠損)、片倉郁江さん(左上肢欠損)と回る廣田さん。「娘と孫、3世代で回っているようで楽しいです」

兄妹で参加する山田洋樹さんと三森喜代美さん。三森さんは選手でありボランティア的存在だ。

「私は25歳の時、左下肢障害となり両親や兄にずっと支えてもらいました。兄は49歳で右片マヒとなり今度は私が兄を支えたいと思いましたが、倒れてからも自分で積極的に人生を生きて、両親や私の反対を押し切り車の免許を取りDGAにも参加。21年からはそれまで同行していた方の代わりに私が参加するようになったんです」

山田さんは「もう28回くらい参加しています。全国いろいろな場所に行けるからいい。地元の名物を食べるのも好きです。移動は飛行機や車があるし、走るわけではないから大丈夫」とにこやかだ。

「兄との旅は大変なことより楽しいことばかり。普段ほとんど文句を言わない兄ですが、プレー中に動きの遅い兄を急かされることを嫌うので、そこは難しいところです。DGAに参加していなければ、この歳になって兄とこのようにゴルフを楽しむことはできませんでした。兄が希望する限りこれからも参加したい。ただ、パラリンピックを目指し、競技として障害者ゴルフを支えていく若い方々の重荷になっているのではとも。私も最近、上手くなりたいと今までにない練習を少しずつ始めていますが……競技スポーツとして技術を磨く方々と、兄と私のように楽しむスポーツとして参加する方々、共存はなかなか難しいのかもしれません」と不安と課題を提起してくれた妹。その横で兄は、「ゴルフ、好きです。嫌いだったら来ない。妹には感謝してます。もちろん喧嘩もして僕が怒られる。でも妹は随分ゴルフが上手くなっていますよ。僕もやれるうちは続けたい」

障害の種類も重度もそれぞれ違う選手たち。それでも、この大会を大事な“場”として思う気持ちに変わりはない。

「ゴルフは走らなくていいし、言うことをきかないのもいい。同じようにできないから飽きない」(兄)、「いつも笑顔で迎えて下さるスタッフやメンバーの方々、そして、快く送り出してくれる夫と娘に感謝です」(妹)

週刊ゴルフダイジェスト2024年12月10日号より
※文中一部敬称略。肩書は大会開催パンフレットによる