【企業ゴルフ選士】Vol.10 ラキール・和田貴之さん「あるがままを受け入れる。仕事もゴルフも同じです」
戦うだけのゴルファーではなく、会社に認められ、選ばれたゴルファーである“企業ゴルフ選士”をクローズアップ。今回の選士はラキールの和田貴之さん。
ORGANIZER/Hironori Kogure PHOTO/Tsukasa Kobayashi THANKS/堀兼ゴルフセンター
今週の選士
株式会社ラキール
営業本部
セールスマネージャー
和田 貴之さん
1964年11月生まれの59歳。06年には国体の選手にも選ばれ、多くのアマチュア競技で実績を残す。現在の会社には08年に入社し、現在はセールスマネージャーとして営業部員を束ねる。HC+2
株式会社ラキール
企業のDX(デジタルトランスフォーメーション)化を支援するプロダクトサービスとプロフェッショナルサービスを提供。ペーパーレス化やデータを活用しての戦略立案、ビジネスモデルの変革など、企業のDX実現に向けて網羅的な支援を行う
誌面をにぎわせた
“カリスマスーツマン”
東洋大学卒業後メーカーを経て、現在はソフトウェア関連会社の営業に携わる和田貴之さん。この名前を聞いて「お!」と思う方もいるかもしれない。というのも和田さんは、かつて週刊ゴルフダイジェスト誌で“カリスマスーツマン”としてたびたび登場してきたからである。そんな“あの人”を掘り下げてみよう。
10歳でゴルフを始め、初ラウンドは14歳。17歳の頃には日本ジュニアに出場し、40年以上にわたり多くの競技で結果を出し続けている筋金入りの競技ゴルファーだが、プロの道は早々に諦めたという。
「初めて出場した日本ジュニアで同組だったのが川岸良兼プロだったのですが、半年後も偶然彼と同組に。当然『これは就職したほうが……』となりました(笑)」
ここでいったん、和田さんのゴルフ遍歴に穴があくことになる。
「試合もラウンドもほとんど行っていませんでした。そして20歳の頃に親父が亡くなり、学費を稼ぐためにアルバイト漬けになったのです」
試合に出たい
葛藤の日々
就職後は仕事の合間を縫って月1〜2ラウンド、近所の練習場へ週1回行くのが精いっぱいだったが、28歳で桜の宮GCの会員権を購入し、風向きが少し変わったかに見えた。
「合田洋プロが同年齢だったのですが、30歳で彼が日本プロで勝ったんです。『彼が日本プロを取れるなら俺もクラチャンくらいは取れるだろう』ってクラブ選手権に出たら勝っちゃって(笑)。その資格で報知アマに出たら6位。もっと試合に出たかったけれど、当時は週に2日も3日も休めるわけないという風潮だったので、JGAやKGAが主催する公式戦なんて夢のまた夢。ミッドアマなんて夢のまた夢でしたよ」
上を目指したくても仕事は休めないジレンマ。関東アマ予選を仕事で当日キャンセルしたり、無理して出た関東ミッドアマで決勝に進出したにもかかわらず欠場するなど歯がゆい日々が続くなか、43歳で転職を決意した。
「当時僕は自宅マンションの住民たちで作ったゴルフ部に入っていたんです。そこで知り合った方からラウンドに誘われて、そのとき一緒に来たのが今の会社の社長。『ゴルフダイジェストで見たことある!』って言われて誘われて、転職しました」
しかし仕事は楽ではない。むしろ即戦力が当たり前のベンチャー企業へ未経験で入ったことで、以前にも増して多忙になってしまった。
あるがままに
できることをやる
「だって自分の選んだ道だから仕方ないじゃないですか」と和田さん。無理しているわけではない自然な言葉の根っこには、10歳でゴルフを始めたときに身をもって知った“あるがまま”の精神があるのだろう。
「ゴルフも仕事も同じですが、自分ができることを続けるしかないわけで、高望みをしても仕方ない。年間の有給20日という“縛り”のなかで、どの試合に出るかを考え、そこでベストを尽くしてきました」
そんな和田さんは順調にキャリアを積み、現在はセールスマネージャーとして営業職を束ねる立場に。コロナ禍以降リモートワークが認められるようになったこともあり、昨年からシニアのアマチュア競技に出る機会が増えたという。
「去年、日本シニアへ行ったとき『やっぱりJGAの競技はいいな!』って。コースセッティングの厳しさにしびれました。今年は4回大きな大会がありますが、そうなるとプレッシャーも分散されて結果も出るし最高です。もちろん有給20日をやりくりしないといけませんが、競技に出ている以上、最高峰を目指したいです」
競技も仕事もあるがままの自分で挑む和田さん。ゴルフとの付き合い方は、こんな形もある。
和田貴之さんの14本セッティング
週刊ゴルフダイジェスト2024年10月29日号より