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15年前の今日、石川遼プロ転向。類まれなる人間力はどう育まれた? 当時の記事をプレイバック!

昨年31歳になった石川遼。ずいぶん長い間プロとして活躍しているから、すでに大ベテランの感があるが、ゴルファーとしては、31歳というとまだまだこれからが脂の乗る時期。すでにツアー18勝を挙げており、今季も活躍が期待される。そんな石川がプロ転向したのが、まさに15年前の今日。2008年1月10日だ。

2007年5月、初めて出場したプロの試合「マンシングウェアオープンKSBカップ」で優勝し、一躍時の人となった石川遼。タイガー・ウッズを彷彿とさせるアグレッシブなプレースタイルに、アマチュア離れした卓越したショートゲーム、そして高校1年生とは思えない機知に富んだインタビューへの受け答えに、誰もが魅了され、遼くんフィーバーを巻き起こした。

週刊ゴルフダイジェストの表紙には、その時々のゴルフ界の“顔”が採用されるが、2007年はタイガー・ウッズの9回に次いで2番目に多い5回(それも6月以降の半年の間に)、アマチュアの石川遼が表紙を飾っていた。

そして年が明けてすぐの1月10日に、石川はプロ転向を表明。16歳3カ月24日でのプロ転向は史上最年少。その後も数々の最年少記録を打ち立てていった。

こんなスーパー高校生はいかにして育ったのか。プロ転向直前に発売された週刊ゴルフダイジェスト1月8・15日合併号をめくると、父の勝美さんが書き下ろした手記が掲載されていた。

そこには、一介のサラリーマンがどれだけ我が子の将来のために尽くしてきたのか、なぜそこまで自らを犠牲にできたのか、丁寧な文章で綴られていた。以下に、その冒頭部分を引用しよう。

   *  *  *

私は、妻が遼をおなかに宿したと知ったときから、これから生まれてくる子供のために、ありとあらゆる努力をしようと決意していた。

当時は、私が今も勤める信用金庫で共働きをしていたが、住まいは埼玉の東武伊勢崎線沿線にある駅に近いアパートで、通勤に便利なうえスーパーマーケットにも近く、夜遅くまで営業している飲食店も多く、部屋は狭くとも夫婦2人だけの生活にとって何不自由のない住まいであった。

だが、3階建てのアパートの2階という環境は、子育てのためには決して良いものではない。階上の住人の騒音に悩まされ、階下の人には遠慮する。成長していく子供にとって耐え難いものになるであろうことは、容易に想像できたのである。

私は、妻が身ごもったことを知ると、すぐに子供のための環境を最優先する家探しに動き始めた。

子供が誰に気兼ねすることもなく、自由に走り回れる庭付きの一戸建て。それ以外は考えられなかった。

しかし平成2年から3年にかけては、バブル真っ最中のころ。埼玉県内で、そんな家は容易に手が届く金額では売られていない。便利を求めれば、私たち夫婦のローン計画では、せいぜい30坪程度が限界である。私は庭だけでも30坪はある家が欲しかった。絶対条件は庭の広さと支払い可能なローンだったのだ。そのためには、“便利”を犠牲にするしかない。

当時埼玉県北葛飾郡の水田地帯に「ゆめみ野」という宅地開発が進められていた。最寄りの駅までバスで20分の不便な場所であったが、私たち夫婦の家選びのポイント、価格と庭の広さの2点は満たしている。これから生まれてくる子供のことを考えれば、運動の不便など許容するべきだと私は判断した。

  *  *  *

このあとには、子供を「遼」と名付けた理由。そして自らの趣味を一切絶ち、いかにして子供が興味を持ったゴルフに打ち込める環境を作ってきたか、そして石川遼の幼少時代の知られざるエピソードがつらつらと綴られている。わずか6ページの記事だが、「石川遼」がいかにして誕生したのかがつぶさにわかる、非常に濃い内容となっている。

>>父・勝美さん書き下ろし「石川遼の育て方」を読む(週刊ゴルフダイジェスト2008年1月8・15日合併号掲載)

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