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【ゴルフに運はつきもの】Vol.24「行ってよかった全米シニアオープン。ありがとうホリエモン!」

最強のサラリーマンとしてアマチュア時代に輝かしい成績を収め、49歳でプロ転向した“中年の星”こと田村尚之プロ。群雄割拠のシニア界で気を吐く異色プロが、自身のゴルフについて、そしてシニアツアーの裏側について語る。

前回のお話はこちら

全米シニアオープンに出場してきました。結果は80・71の9オーバー、156人中86位で予選落ちでしたが、さすがはシニア世界最高峰の舞台、本当に素晴らしい大会でした。

開催コースは、ペンシルベニア州のソーコンバレーCC。練習ラウンドすると、470ヤード台のパー4の連続で距離が長く、グリーンの傾斜やうねりも強く、非常に難しい印象でした。対策としては、まずはティーショットをラフに入れないこと。ラフに入れるとボールが洋芝にすっぽり入りショートアイアンでしか出ません。

今回、ホリエモン(堀江貴文氏)が私の帯同キャディをしてくれましたが、主に私が歩測で距離を測り、彼がグリーンを読む、という役割分担にしました。アメリカの試合では距離測定器は使えず、グリーンの傾斜を矢印などで表記したメモも使用禁止なんですよ。私は乱視なので、ホリエモンに頼ることにしました。

予選ラウンドはダッフィ・ウォルドーフ選手とジョナサン・ケイ選手とのペアリング。初日は4組目の早いスタートで午前中は雨、ボールが左に飛んでラフに入ることも多く、大変苦労しました。雨でボールが右に飛びやすいだろうと思って、必要以上に左を向いていたのが原因。昼からは雨が上がったので、午後スタートだったら……それもゴルフ、受け入れるしかありません。

2日目は天気も回復し、私のゴルフも回復。ホリエモンのライン読みもバッチリで、ほかの選手のキャディが選手に伝えるラインもこっそり聞いて、私に耳打ちしてくれます。それで結構入りましたね(笑)。前半を2アンダーで折り返し、すぐにバーディで3アンダー。予選通過も見えたと思った3番でティーショットを右のラフに入れてダボ。自分としてはドライバーを持ったことに悔いはありません。

最後まで諦めずに楽しくプレーできましたし、自分にとっては大満足の71でしたよ。

そして、その夜にサプライズが……。この日6月24日は私の誕生日でしたが、ホリエモンの作る手料理に舌鼓を打ったあと、大きなバースデーケーキで祝ってくれました。ホリエモンのマネジャーが車で2時間のニューヨークの有名店までケーキを買いに行ってくれて。呑んだ呑んだ(笑)。最高の誕生日でした!

土曜日はホリエモンが近くのコースを予約してくれて、チーム田村全員でラウンド。

最終日はまた試合会場へ。私には「ALL ACCESS」の通行証がありますので、練習場のロープの中へ。遅い時間に行くと狙い通り、E・エルス選手と最終組のP・ハリントン選手しか練習していません。2人の練習を10メートルほどの後ろから勝手?に観察。エルス選手は、たまに右に抜けたような球筋が出ていましたね。それにしてもスウィングが柔らかい。

驚いたのはハリントン選手。ドライバーを30球は打ったでしょうか。そして3球に2球はフィニッシュで左腰をくの字に曲げて、スライスを打ちます。そしてたまに左腰は曲げずに軽いフェードを打つ、その繰り返し。スライスでも、私より50ヤードは飛んでいましたが(笑)。試合で絶対に左に曲げたくないんでしょうね。

そして18番グリーン脇のVIP席で、ハリントン選手の1メートルほどの優勝パットを目に焼き付けておきました。外せばプレーオフ、もし自分だったら打てたかどうか……。やっぱり世界は凄かった! 本当に来てよかった! ありがとう、ホリエモン!

そもそもなぜホリエモンがキャディに!?

コロナやウクライナ情勢で出場の権利がありつつも全米シニアオープン出場辞退を決めていた田村プロ。そこへ親交のある堀江氏から「僕がキャディをやりますから、出ましょうよ」と電話が。急遽、異色のタッグが決定し、出場することになった

田村尚之

1964年6月24日生まれ。「日本ミッドアマ」2連覇、「日本アマ」2位などを経て49 歳でプロへ転向。2016年「富士フイルムシニア」でツアー初優勝

月刊ゴルフダイジェスト2022年9月号より