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【ノンフィクション】「やるべきことをやって、流れに身を任せる」全米OPを制したフィッツパトリックとキャディの物語

ボストン郊外の名門ザ・カントリークラブで行われた今年の全米オープンはイングランドの27歳マシュー・フィッツパトリックが米ツアー初優勝をメジャーで飾り幕を閉じた。これは物静かな青年と無愛想な相棒が歩んだ軌跡──奇跡の物語である。

文/川野美佳(ゴルフライター) 写真/Blue Sky Photos

ザラトリスがバーディパットを外した瞬間、優勝が決まった。先にフォスターがキャップのひさしで顔を隠し感泣。フィッツパトリックは相棒の肩をそっと抱き寄せた。そして、2人は最高の笑顔で勝利を称え合った

「今回もダメなのか」
諦めかけたそのとき……

6月とは思えない冷たい風が吹いていた。全米オープンらしいサディスティックなセッティングに各選手ともスコアメイクに苦しむなか、最終日の10番でフィッツパトリックは1メートルのパーパットを外した。続く11番で5メートルから3パットのボギー。先頭争いしていたウィル・ザラトリスがバーディを奪い差は2打に開いた。

「またかよ。今回も願いは叶わないんだな」

バッグを担ぐ相棒ビリー・フォスターは心のなかでそうつぶやいた。イギリス、ヨークシャー出身の彼はキャディ歴30有余年。故セベ・バレステロス、ダレン・クラーク、リー・ウエストウッドら錚々たるプレーヤーを支え40回近い勝利をアシストしてきたのに未だメジャーの勲章は遠かった。

ウエストウッドのもとを離れフィッツパトリックの帯同になって4年。欧州ツアーではDPワールドツアー選手権など、ビッグイベントの勝利を二人で勝ち取ったが米ツアーではまだ優勝すらない。

「今回もダメなのか……」

フォスターが鉛色の空を見上げ諦めかけたそのとき、展開を一変させる出来事が起きた。13番でフィッツパトリックが15メートル以上あるパットをカップにねじ込んだのだ。常に冷静に戦況を俯瞰で眺めてきたフォスターが、そのときばかりは「自分でも驚くくらい我を忘れて有頂天になった」。

もちろん表には出さなかった。しかし大歓声に包まれ、30歳以上年下の選手が優勝争いに戻ってきてくれた高揚感に浸っていた。


一方フィッツパトリックは14番に向かうとき「もう本当に嫌になる」と心にもないことを口にしていた。実際には苦しいながら楽しかった。大好きなサッカーの試合会場にこだまするような歓声が心地よかった。

9年前、イングランド勢としては102年ぶりに全米アマのタイトルを獲得したのがここザ・カントリークラブ。

「いい思い出ばかりだし自分のゴルフにすごく合っている」と感じたが、全米オープンはまったく別物だった。3日目を首位タイで終え、全米アマのとき世話になったホストファミリーの家でベッドに入ったがどうしても最終日の展開を考えてしまう。「考えちゃダメだ。早く寝なきゃ」と自分に言い聞かせるのだが、メジャーでの優勝争いの重圧が重くのしかかって眠れない。長い、長い一週間の果てにやっとたどり着いたサンデーバック9。勝負はこれかだ。

「鍛錬の成果か25Yは伸びている。あのDJを30Yアウトドライブしたシーンが何度かあった」とフォスター。グリーン周りの成長も著しく「ほぼすべてのスタッツで20位以内に入るほど安定感は抜群」とまるで自分のことのように胸を張る

「我慢していればいずれバーディはくる」

コンビを組んでからフィッツパトリックとフォスターは欧州ツアーで2勝を挙げた。米ツアーでは優勝こそないものの、コンスタントに成績を挙げ未勝利の選手のなかではザラトリスとともに世界ランク上位(15位以内)をキープ。しかし「全英オープンで優勝する」という子どもの頃からの夢を叶えるには何かが足りないことを、本人もそしてフォスターも気づいていた。

「メジャーになると別人みたいだとよく言われた。自分に厳しすぎたんだ。少しのミスも許せない。我慢できずに自滅する……」

その結果、プロ転向後26回出場したメジャーでベスト10入りはわずか2回。弱点を克服しメジャーチャンプになるためには技術武装が急務だった。

全米アマに優勝し出場権を得た全米オープンと全英オープンでローアマに輝いた実績もあり、もともとショットの精度には定評があった。ライバルたちから「とにかく曲がらない」「ショットが上手い」と言われてきた。加えて、ここ1年半でフォスターが驚くほど飛距離が伸びた。

「鍛錬の成果か25ヤードは伸びている。全米の初日と2日目をDJ(ダスティン・ジョンソン)と回ったけれど、あのDJを30ヤードアウトドライブしたシーンが何度かあった。すごいことになったぞと思ったよ」とフォスター。

グリーン周りの成長も著しかった。「セベがお墓を飛び出して見にくるレベル」とショートゲームの天才を引き合いに出すほどの上達ぶり。「ほぼすべてのスタッツで20位以内に入るほど安定感は抜群」とキャディはまるで自分のことのように胸を張る。

あとはメンタルだが、これに関してはフォスターが一役買っている。「我慢していればいずれバーディはくるということをビリーに教わった」。その成果は強風が吹いた今年5月の全米プロで表れた。60台を連発しメジャーでの自己ベスト5位タイに食い込んだ。

フォスターの選手操縦法は興味深い。3年前のスカンジナビア招待で、フィッツパトリックがブッシュに打ち込みどう対処すべきかフォスターに聞くと「よしコインを投げて表か裏かで決めよう」と真顔で言ってきたのでフィッツパトリックは思わず笑ってしまったという。

また今年のマスターズでは、13番パー5でグリーンを狙うか刻むかを思案していたフィッツパトリックが「思った通りに打てばいいんだね?」とイライラしながら言うとフォスターは「ごめん、ごめん、何か急いでたんだっけ?」と絶妙の間で返してきたので緊張がほぐれ冷静になれたという。

ときにはセベのモノマネを披露し選手を笑わせることもある。

「勝つためには負けて学ばなければならない」とフォスター。彼はじっと機が熟すのを待った。

セベのバッグを担いでいた若かりし頃のフォスターとは来日するたびに顔を合わせた。一見生意気でイングランド人特有の皮肉屋。でも話してみると気さくで気が利いた。キャリアを積み彼はキャディ界のレジェンドになっていた。

「セベといると奇跡は日常茶飯事だった」とフォスター(写真左端)。「なかでも林のなかからお皿一枚の空間を打ち抜きバーディを奪った一打はすごかった。お願いだから狙わず出すだけにしてくれと頼んだ自分に喝(笑)。カミカゼショットだね」

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3月、フィッツパトリックは以前交際していたテニス選手のデニスさんに電話をしている。彼女の家族がウクライナ出身のため、ロシアの軍事侵攻が心配で連絡をした。

「彼女の祖母は心臓発作を繰り返し歩けないので国外に避難することもできない。叔父さんは荷物をまとめて、明日戦闘に加わるため出発する予定だと彼女は言っていた。そんなときに僕は、フロリダでのんきに練習をしている。明日命を落とすかもしれない人と自分のギャップに愕然とした」

彼女の家族のことを思えば、メジャーの優勝争いなど生きるか死ぬかの問題ではない。

「メジャーくらいで重圧を感じていたら一生勝てるか勝てないかであくせくする人生になってしまう。もちろん勝ちたいけれど、やるべきことをやって流れに身を任せることも必要だと思えるようになった」

「ビリーにとってメジャーがすべてだから」

シビアなサンデーバックナインでも一喜一憂しなかった。15番ではティーショットを右に曲げ、ギャラリーが踏み固めたベアグラウンドのような最悪のライに捕まった。

ピンまで残り220ヤード。5番アイアンを手にしたフィッツパトリックは、目の覚めるようなショットでピンまで6メートルに乗せた。そしてここぞというタイミングでクラッチパットを決め、バーディを奪った。一方ラフから第2打を放ったザラトリスはグリーンを外してボギー。2打のアドバンテージをもらった。続く16番でザラトリスがバーディを奪い返し、1打差に詰め寄られる。予断を許さない状況だ。

案の定18番でピンチが訪れる。ティーショットを左サイドのアゴの高い厄介なバンカーに打ち込んでしまうのだ。ボギーならプレーオフ、いや負ける可能性もある。ギャラリーが固唾をのんで見守るなか、フィッツパトリックの決断は早かった。

残り105ヤード。フォスターがクラブを逆さまにして目標を指示すると、フィッツパトリックは9番アイアンで何のためらいもなく、いつものルーティンで小気味の良いショットを繰り出した。美しい放物線を描いた打球はやがてピン奥5メートルをとらえた。

「すぐ横を通り過ぎたけれどあそこからグリーンに乗せる確率は5パーセントしかなかったと思う。それを乗せたんだから完全に脱帽だ」というザラトリスも負けじと2打目を内側につけた。

フィッツパトリックは先に2パットでホールアウトし相手を待った。

グリーンサイドで戦況を見つめていた弟アレックスは、ザラトリスがバーディパットを打った瞬間「入る」と確信した。打った本人も「カップ20センチ手前までは入ると思った」。

18番のバンカーショット。
すべてが集約されていた

ティーショットを左サイドバンカーに入れ大ピンチ。フォスターがクラブを逆さまにして目標を指示すると、フィッツパトリックは9Iで何のためらいもなく打つ。“共同作業”の美しいフェードボールがグリーンをとらえた

「プレーオフはダメだ」。全米アマで兄のバッグを担ぎプロに転向したばかりの弟は、心のなかでそう叫んだ。祈りが通じたように、ザラトリスの打球は最後の最後で左に切れカップの横を通過した。

先に入れてしまったためウィニングパットを決めて渾身のガッツポーズを決める間もなかった。フィッツパトリックはただひたすら人の良さそうな笑みを浮かべ、相棒の肩を抱き寄せた。先にフォスターが泣き出した。キャップのひさしで顔を隠し感涙にむせぶ。

「ビリーにとってメジャーがすべてだから」とフィッツパトリック。

どれだけこの瞬間を待ち焦がれたことだろう。セベやウエストウッドだけでなくプレジデンツカップではタイガーのキャディも務めた。この道一筋の職人が子どものように涙を流した。つられてフィッツパトリックも瞳を潤ませる。

弟、父ラッセルさん、母スーザンさん、そしてホストファミリーが次々と新しいチャンピオンを抱きしめる。

「私はトニー・ジャクリンが全米オープンに勝った姿を見てゴルフを始めたんです。イギリス人で全米を制したのはジャクリン、ジャスティン・ローズに次いで息子が3人目。なんて素晴らしいんだ」

目を細め誇らしげに語った父。奇しくもこの日は父の日。息子は父に最高のプレゼントを届けた。

そして21歳になった息子ジョーくんの父親であるフォスターにとっても、これ以上ない父の日となった。数々のレジェンドとのコンビで果たせなかった夢を27歳の若者が叶えてくれた。

「大きな、大きな肩の荷を下ろさせてくれて本当にありがとう」(フォスター)

マシューとビリーが歩む道の先にはクラレットジャグ(全英オープン)が待っている。

試合中も多くを語り合うマシューとビリー。父子のようでもあり、友のようでもあり、同志のようでもある。2人がもっとも欲する「クラレットジャグ」を聖地で手にするため、今日も並んで歩いていく

週刊ゴルフダイジェスト2022年7月26日号より