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【ゴルフはつづくよどこまでも】Vol.86「1993年、日本オープン」

高松志門の一番弟子として、感性を重んじるゴルフで長く活躍を続ける奥田靖己。今週もゴルフの奥深い世界へと足を踏み入れていく。

前回のお話はこちら

あまり自分の話をするのは好きやないんですけど、今回は日本オープンで優勝したときのことを少しお話ししましょう。

あのときは、それまですごい調子が悪かったんです。でも予選で成績は出て、土日は最終組で回りました。しかも2日間ともジャンボ(尾崎)さんと2サムで。だから集中力が増したんや思います。

金曜日の夜は寝られませんでした。「明日、ジャンボさんと2人で最終組。全国からギャラリーが来るんか、どうするねん」と2時間くらいしか寝てません。


土曜日の朝は手から汗が落ちました。レストランで朝ご飯を食べているときに、新聞を見ておったキャディが「プロ、載ってますよ」って。「どうするねん、これ」って。

海外の選手やったら、たとえばタイガーと一緒に回っとっても「今日は俺の日」とか思っている人が多いんやろうね。初めて試合に出てきたようなもんでも、「絶対勝つ」という。

ただ、1番のティーショットを打ったら、全部普通の感覚になりました。ボールがどこに行ったかは忘れたけど。それまでは、唇は乾くわ、ピリピリモード。お客さんはいっぱいやし「うわー」と気絶しそうな感じでした。

勝とうとなんて思ってないですよ。3日目やから、何とかしのいで上位にいけるようにしようと。そうしたらまあよかったんです。パターが全然入らんのに、そこそこいいスコアで回れた。3日目終わった時点で2位やった。ジャンボさんもまあまあスコアはよかったんですけど、僕のほうが内容はよかったんですよね。

それで、最終日は緊張していたけど、3日目ほどではなかった。予行練習になったんやろうね。

最終日はまた、ジャンボさんの胸を借りるつもりでついていこうという感じで。僕のほうが流れもよかったし、ジャンボさんはパットが入らなくて、ドライバ―もめっちゃ曲がっておりました。でも、調子が悪くても悪いそぶりは見せないし、悪くても勝てると思っているはずですわ、なにせジャンボさんやから。

ジャンボさんは「ショット切れてたなあ」と言ってくれました。言えるのがすごいですわ。嬉しかったですね。

2打差2位で出た最終日に大逆転。最終的には5打差で優勝した

奥田靖己

おくだせいき。1960年、大阪生まれ。93年日本オープンなど6勝。シニアで2勝。ゴルフの侘び寂び、温故知新を追求する

週刊ゴルフダイジェスト2022年6月28日号より