【ゴルフ初物語】Vol.62「TOTOジャパンクラシック」第1回は48年前。樋口久子との一騎打ちを制したのは?
今週、滋賀県の瀬田ゴルフコース北コースで開催されるTOTOジャパンクラシック。新型コロナの影響で、昨年に引き続き今年も日本単独の特別公認競技となったが、第1回がスタートしたのは1973年のことだった。
女子プロブームの到来
1967年の日本プロゴルフ協会女子部設立とともにスタートした国内女子プロゴルフの歴史。当初、会員数はわずかに25名。試合数も片手で数えられるほどしかなかったが、6年後の1973年に急成長。会員数はまだ70名ほどだったが、試合数は前年の5試合から一気に12試合へと倍増。年間賞金総額は1600万円から約8000万円に膨れ上がった。
これは、4月に初来日した18歳の“グリーンの妖精”ローラ・ボーと、6月の全米女子プロで6位に入った樋口久子によるところが大きかった。本来であれば前年末に決まるトーナメントスケジュールだが、数カ月前に急遽、設定される試合もあった。
11月末のLPGAジャパンゴルフクラシックもそのひとつで、8月頃に急に決まったという。賞金総額は5万ドル。この年の2月から変動相場制になり、1ドル約280円として1400万円。もちろん女子トーナメント史上最高額だった。そして米女子賞金ランキング30位以内の総勢23名が来日し、袖ヶ浦CC新袖コースで3日間戦った。
試合は樋口久子とアメリカの伏兵、ジャン・フェラリスがイーブンパーで並びプレーオフに。サドンデス2ホール目でバーディを奪ったフェラリスが優勝した。75年まではUSLPGA非公式だったが、76年から公式戦に組み込まれ、87年には岡本綾子が2位に入り、米ツアー初のアメリカ人以外の賞金女王に輝いている。
96年にはUSLPGAメンバーとして出場した平瀬真由美が優勝し米ツアー初勝利。上田桃子は2007年の優勝で得たシード権で翌年から米ツアーに本格参戦した。冠スポンサーはミズノ、マツダ、東レ、再びミズノと入れ替わり、2015年から現在のTOTOが主催者に。今年から4日間競技となっている。
第1回大会で優勝したアメリカのジャン・フェラリス。あまりの寒さに銀座のデパートで買ったという毛糸のスキー帽をかぶってプレー。当時の週刊ゴルフダイジェストでは「日本上陸! ブロンド旋風」と題した特報も組まれた
週刊ゴルフダイジェスト2021年11月16日号より