【世界基準を追いかけろ】Vol.47 松山の情熱は中学時代から少しも変わらない
TEXT/Masaaki Furuya ILLUST/Koji Watanabe
松山英樹のコーチを務める目澤秀憲、松田鈴英のコーチを務める黒宮幹仁。新進気鋭の2人のコーチが、最先端のゴルフを語る当連載。今回は、松山がマスターズ優勝という快挙を成し遂げられた理由について、改めて考えてみた。
GD 松山英樹のマスターズ優勝の瞬間、多くの方が涙しましたが、黒宮さんはいかがでしたか?
黒宮 僕は涙は出なかったです。
GD どうしてですか?
黒宮 マスターズに勝つことは快挙ですけど、でも彼は長年PGAのメンバーとしてやってきて、過去5勝(※1)を挙げています。このクラスの選手なら誰が勝ってもおかしくないというトップの中でずっとやってきたわけですから、英樹が勝つのは不思議ではないと思って見ていました。彼がマスターズに優勝できたことも凄いですが、29歳の時点で10回もマスターズに出ていることに驚きますよね。
目澤 それは間違いないですね。
黒宮 どの試合もそうですが、特にマスターズなどは、いかにその週に自分の体調とかフィーリングのピークをもってこられるかが大事なポイントになりますから、この経験は大きいですよね。
GD そういうコンディショニングを含めたピークの持っていき方を、10年間の蓄積として身につけていたということですか。目澤さんは、一緒にいてそれを感じましたか。
目澤 4月のマスターズに向けて、技術的なことを含めて調整をしていこうという流れは、年明けの1月から始まっていたと思いますね。
GD そんな長期的なスパンで取り組むわけですか。
目澤 僕が見ていて凄いと思ったのは、マスターズが近づくに連れて彼が一貫してドロー(※2)にこだわって打ち続けた姿勢です。3月のアーノルド・パーマー招待のときもプレーヤーズ選手権のときも、とにかくドローを打ち続けていましたから。彼の目指すモノに対して何かを継続する力は、本当に凄いですね。
黒宮 中学から英樹を知っていますが、そこは昔からずっと変わらないですね。自分が掲げる目標を達成するために、自らにテンションを与え続けることってなかなかできないことですが、英樹はそれができる。そこが彼の凄さだと思いますね。
GD ほかに調整段階で凄いなと思ったことはありますか。
目澤 マスターズ2週前のマッチプレーでは初日、2日目と負けましたが3日目はパトリック・カントレーに対して6バーディくらい取ってボロ勝ちしたんです。もうチャンスはなかったので入れ込まなくてもいいのに、彼は朝からいつもと同じルーティンでウォーミングアップをこなし、練習場でも周りを寄せ付けない集中力で球を打っていました。あれは驚きでしたね。
GD 勝っても決勝ラウンドに行けなかったんですよね。
目澤 そうなんです。でも彼の中では、2週間後のマスターズを見据えて、プレッシャーが掛かった場面でこの時期にどういう球が出てどういうミスが出るかということを、直前の試合の中で確認していたように思います。
黒宮 マスターズ優勝という日本人にとって分厚かった壁を、英樹は中学生時代から変わらぬ情熱で、その一点を叩き続けてきた。そして、決して開かないと思われた穴が開いた。日本人にもできるということを、そのひたむきさで証明してくれたと思います。
(※1)2010年アジアアマの優勝で招待され翌11年マスターズで27位、日本人初のローアマチュアに。14年からPGAツアーに参戦し、これまで「メモリアルトーナメント」など5勝を挙げ、今年のマスターズ制覇でツアー6勝目を達成。(※2)2番、5番、8番、9番、10番、13番ホールと難しい左ドッグレッグのホールが多いオーガスタナショナルでは、ドローヒッター有利と言われる。昔、リートレビノがマスターズを勝てないのは彼が天然のフェードヒッターだからと言われた。最終18番は唯一の右ドッグレッグホールだが、松山英樹は「18番のティーショットをフェアウェイに打てたことが優勝のキーポイントだった」とコメントした
目澤秀憲
めざわひでのり。1991年2月17日生まれ。13歳からゴルフを始め、日大ゴルフ部を経てプロコーチに。TPIレベル3を取得。2021年1月より松山英樹のコーチに就任
黒宮幹仁
くろみやみきひと。1991年4月25日生まれ。10歳からゴルフを始める。09年中部ジュニア優勝。12年関東学生優勝。日大ゴルフ部出身。松田鈴英、梅山知宏らを指導
週刊ゴルフダイジェスト2021年6月15日号より