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「ゴルフが嫌いになっていた」――ビリケンスマイルの裏にあった苦悩を藤本佳則が初告白<前編>

13年という長い年月を経ての復活優勝。ところが涙を流すわけでもなく「ゴルフが好きだから頑張ってこられました」と終始笑顔の会見だった。さほど苦難に感じていなかったような口ぶりだった。しかし、「月刊ゴルフダイジェスト」9月号のインタビューで腰を据えて話を聞くと「めちゃくちゃつらかった」と本心を吐露。不遇の時代をどう乗り越えたのか?

構成/重富由美子 写真/有原裕晶、姉﨑正 協力/日清都カントリークラブ

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藤本佳則を知る

【1】プロフィール

ふじもとよしのり。1989年奈良県出身。祖父が練習場を経営しており幼少期からゴルフを始める。東北高校、東北福祉大学と進み、2011年プロ転向。翌年デビューから5戦目で初優勝。13年の2勝目以降は勝ち星に恵まれず、今季3勝目を挙げた。国際スポーツ振興協会所属

5月に開催された「関西オープン」で13年ぶりの復活優勝を遂げた

【2】「阿河コーチは知識が豊富で信頼しています」

プロ入りと同時に阿河徹コーチと契約。「すごくゴルフが好きで知識が豊富なので信頼しています。僕のスウィングが崩れたときも、その場しのぎの解決策ではなく、長い目で見て最善の方向性を提示してくれました」

コーチは15年間代わらない

【3】どうしていつも笑っているの?

「小さい頃にテレビで見ていた丸山茂樹さんがいつも笑っていて、ああいう選手になりたいと思いました。それに、楽しくプレーしているとプライベートのゴルフみたいに視野が広くなって、嫌なゾーンが気にならなくなるんです」

優勝争い中もいつも笑顔。【左】2012年【右】2026年

どん底に落ちても折れなかった
ゴルフの借りはゴルフで返す!

「勝つことより、いいショットを優先してしまっていました」

13年ぶりの優勝ではあるが、13年間ずっと不振だったわけではない。2013年の2勝目以降も賞金ランクは上位をキープしていたし、2015年は未勝利ながら4位に入っている。ではシード権を失う21年までなぜ勝てなかったのか?

「今になって考えると勝つということに貪欲じゃなかった気がします。常に上手くなりたいという気持ちはあって、例えば優勝争いをしていてもいいショットを打つことを優先してしまっていました。気持ち悪いゴルフで6アンダーよりも、気持ち良く打ってパープレーのほうを選んでしまう。だから勝負に勝てなかったんだと思います」(藤本・以下同)

リスクを取ったショットはその場は良くても後には繋がらないから、先を見据えた選択だったということだ。そして21年の開幕前に左肩を負傷し、その年は一度も予選通過することなくシード権を失うことになった。

「トレーニングが原因で炎症が起きて水が溜まってしまって、肩が抜ける感じだったんです。試合に出ながら治療していたんですけど、痛みもあるしゴルフは完全に崩れました」

公傷制度を利用して試合を休み治療に専念すれば良かったのではと思うが、根が真面目な藤本は休むということを考えなかったという。

「あのとき休めていたら違っていたかもしれないですけど、痛くても行かないとって思ってしまっていたんですよ。でも行っても予選は通らないし、しんどかったです。正直言うと、早くシード落としたいとすら思ってしまっていました。そうすれば試合に行かなくていいので」

ゴルフが嫌いになっていった

アマチュア時代に活躍してゴルフの名門大学卒業と同時にツアーデビューし、すぐに優勝。「シード落ちするまでのゴルフ人生では負けたことがなかったので、余計に負けたままでは終われないという気持ちでした」

どん底の苦しみを抱えながら試合に出続け、獲得賞金0でシーズンを終えた。そこでいったんゴルフを離れるという選択肢もあったはずだが、翌年からは下部ツアーに参戦。そこではまた違う試練が待っていた。

「レギュラーでずっとやっていたから知っている人がいないし、みんなは藤本はどんなゴルフするんだって目で見るじゃないですか。それでバラバラのゴルフしかできなくて、ほんまに嫌でしたし、惨めでしたよ」

それでも続けられたのはやっぱりゴルフが好きだから?

「優勝会見でああ答えたのは表向きの言葉で、違うんですよ。あの頃は嫌いになってました。でも、ゴルフで失ったものはゴルフでしか取り返せないんです。1人の人間として負けたままで終われないという気持ちでした」

リベンジしたいという気持ちで下部ツアーで戦いながら、大きなスウィング改造を行った。それが実を結び、持ち球のフェードに磨きがかかり飛距離も伸びた。そして大きな借りを返すことができたのだ。

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月刊ゴルフダイジェスト9月号より