【イ・ボミのスマイル日和】Vol.8「初優勝はソンジュオンニとのプレーオフ。まさか日本でも優勝争いできるなんて…」

2年連続賞金女王など輝かしい実績を残し、2023年に惜しまれつつも日本ツアーを引退したイ・ボミ。これまであまり語られてこなかった生い立ちや現役時代の秘話など、あらいざらい語り尽くす!
TEXT/Kim Myung Wook PHOTO/Takanori Miki

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- 2年連続賞金女王など輝かしい実績を残し、2023年に惜しまれつつも日本ツアーを引退したイ・ボミ。これまであまり語られてこなかった生い立ちや現役時代の秘話など、あらいざらい語り尽くす! TEXT/Kim Myung Wook PHOTO/Takanori Miki イ・ボミ 1988年生まれ。15、16年賞金女王。日本ツアー21勝のレジェンド >>前回……
「自分ならできる!」という自信は持っていました
日本ツアー初優勝は2年目の「ヨコハマタイヤPRGRレディスカップ」でした。この試合はジュニア時代から切磋琢磨してきた1つ年上の(アン・)ソンジュオンニ(韓国語で年上の女性に対する呼び方)とのプレーオフだったので、決して忘れることはありません。ソンジュオンニは当時、2年連続で日本ツアーの賞金女王でものすごく強かった。韓国ツアーではよく一緒に戦っていましたが、まさか日本で優勝争いをするとは思ってもいませんでした。
この試合ではプレーオフ1ホール目がともにボギー。2ホール目はソンジュオンニがボギーで、私が1メートルのパーパットを入れて初優勝しました。最後のパットは口から心臓が飛び出そうなくらい緊張したのを今でも鮮明に覚えています。
実は、2009年の韓国ツアー「Nefs Masterpiece」で私が初優勝したときも最終日最終組でソンジュオンニと一緒の組で優勝争いしていたんです。同組のもう1人は同い年の(パク・)インビ。彼女は後に世界ランク1位になった選手ですから、いま考えると面白いメンバーじゃないですか?(笑)
この時はソンジュオンニが途中でスコアを落として、優勝争いから脱落してしまったのですが、ソンジュオンニが試合中に「ボミ、私たちのどちらかが絶対に優勝しないといけない」と言ったんです。当時、所属先が同じでチームのような関係だったので、一緒に戦っているというか、私の背中を押すように力強い一言にすごく勇気をもらいました。
そして最後は、インビとのプレーオフで一騎打ち。2ホール目にインビがボギー、私がパーで韓国ツアー初優勝を果たしました。この時のソンジュオンニの言葉がものすごくありがたかったことが忘れられませんし、日本の初優勝の時も「おめでとう」と称えてくれる姿がすごく誇らしかった。私も結果を残して、日本のファンに愛されるようなプレーヤーになりたいと思った瞬間でした。
2013年の「日本女子プロゴルフ選手権」で、大雨の中で5ホールのプレーオフを制しての優勝もすごく記憶に残っています。会場が北海道の恵庭カントリー倶楽部だったのですが、コースもクラブハウスも壮大。すごく気持ちのいいゴルフ場なので印象に残っているのですが、最終日が荒天で中止になってしまったんです。
3日目が終わった時点で首位に並んでいたのが私と(比嘉)真美子。予備日がなかったのでプレーオフだけでもやらなきゃいけなかったわけです。『この大雨の中で試合するの?』って思ったのですが、決まったからにはやるしかないですよね(泣)。真美子はアマチュア時代からすごく強くて、勢いがありました。それに何がなんでもメジャータイトルを獲りたいという気持ちも強かったと思います。
雨だから誰もいなくて、テントの中にポツンと私と真美子だけ。アドレナリンが出ていたので、4ホール目に2打目をグリーン奥のラフにオーバーしてしまったんです。そこから3打目はピンまで22ヤード。9番アイアンのチップショットでいこうと思ったけれど、ウェッジを選択して1メートルに寄せてパー。コンディションが悪い中でも、数字で言えば3%が不安、残り97%は「自分ならできる」という自信があったんです。
そして決着は5ホール目。真美子がティーショットをミスしてしまいボギーだったのに対し私は最後まで冷静にプレーし、最後をパーセーブしてなんとか勝つことができました。
ただ、当時はメジャー大会でも予備日がなかったので、3日間で終わったのが心残りでした。選手の立場からすればメジャーで勝ったとはいえ、100%とは認められない優勝なんじゃないかなと今でも思いますね。
それでも本当に死闘というにふさわしい試合だったと思います。大雨の中での5ホールのプレーオフは私も真美子も最後までベストを尽くしましたし、試合後も互いに健闘を称え合ったことは一生忘れません。
月刊ゴルフダイジェスト2025年8月号より