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【ノンフィクション】ゴルフと私と熊本と。笠りつ子、葛藤の5年

PHOTO/Tsukasa Kobayashi、Tadashi Anezaki

プロ入り15年目を迎えた笠りつ子。ベテランの域に入り、もう一花咲かせようとしていた一昨年、「暴言騒動」によりゴルフ以外で世を騒がせることになってしまった。彼女は今、新しい花を咲かせようと日々努力している。地元・熊本で開催されるKKT杯バンテリンレディスを前に、この5年の葛藤を聞いた――

「こんにちはー!」

取材場所で待っていると、元気な声とともに笠が入ってきた。場が一気に明るい雰囲気になる。これが、笠りつ子本来の“持ち味”である。

笠のこの5年は、山の上から少しずつ落ちてどん底にまでいってしまったような年月であった。

16年は2勝を挙げ、自身キャリアハイの賞金ランク3位となった。17年は賞金ランク15位、しかし18年は52位で09年以来初めてのシード落ち。19年は賞金ランク30位と安定感を取り戻していたものの、10月のマスターズGCレディースの会場で「暴言騒動」を起こしてしまう。心機一転臨もうとした20年は、コロナ禍で前半は中止となる試合が多く、21年との統合シーズンとなった。

この5年について振り返ってもらうよう笠にお願いすると、“持ち味”の明るさを保ったまま、正直に気持ちを話してくれた。

       *

16年、笠は1億円超えの賞金を稼ぐ。ここが今のところプロゴルファー人生の1つの頂点だ。

「1億円を目指すという目標は女子プロでは私が一番最初に言ったと思います。強い思いで口にして、それを叶えることができました。でも、その次の目標は2億円だなんて言っているうちに、成績がどんどん落ちていった。なんでしょう、ゴルフに対する思いが薄れていたのかもしれません」

笠は理由にしなかったが、17年の最後の日、愛する母が亡くなっている。そして彼女はこの年30歳となった。年齢の壁を感じ始めるタイミングではなかったか。

「体の変化は常にあります。気持ちに体がついていかないというか。とくにこの2年くらいかな。体重も落ちなくなったし(笑)。でもトレーニングも練習もあまり変えていません。ゴルフが変わるのは、少しずつのズレがあるから。それに気づかずにやっていた。でも今はそれを受け止め、向き合い、取り組んでいます」

ズレとは、体のキレ、神経伝達などに出るのだという。

「ショットに一番影響します。ドライバーのフルショットからはじまり全部変わってしまうんです」

そうしてこの頃、若い選手の台頭も顕著であった。焦りはなかったのか。

「若い世代は小技も含めて全部上手い。でも、クラブがやさしくなったこともあるのか皆スウィングが似て見えますし、今は一線に並んでいる感じですね。先輩方のことを考えると、クラブの使い方がすごく上手かったし、遠くから見てもすぐに誰か分かる個性があった。それになんだか強かった。でも、若手の活躍はゴルフ界のためにも嬉しいことです。私は全然焦ってはいません。若い子に負けたくないというより、コースと自分に負けたくない」

「心は一度折れた。でも、一生背負っていかなければならない」

19年の「暴言騒動」について、今思うことを聞いてみた。

「落ち込まない人はいないですよ。でも支えてくれる人がいた。もし誰もいなかったら、私はもう、ここにいなかったかもしれない、そんな感じでした」

ドキリとする発言も出てくるが、叱咤激励、さまざまな周りの支えで持ちこたえたという。

「協会(JLPGA)も事務所の人たちも皆、朝から晩まで動いてくれて。だから私はゴルフをもっと頑張らなければと思ったし、応援してくれるファンの方たちにも悲しい思いをさせてしまったので、その方たちのためにも頑張ろうと思えるようになりました」

「言ってはいけない言葉でした。それは改めなければいけない。でも言葉は取り消せないし、言った事実をリセットはできない。一生背負っていかなければいけないことです。だからといって、時間は止まらないので、私が立ち止まっても何も変わらない。一度きりの人生、いつ死ぬかもわからないから、あのことを胸にきちんと生きていきたいんです」

事件後1カ月間、試合を自粛したが、19年シーズンが終わる頃には気持ちを切り替えていたという。

「しっかり来年の3月から……という思いで、トレーニングも練習もしていました。まさかコロナで開幕戦から中止になるなんて考えてもみなかった」

20年の敵は、見えないウイルスだった。


母を亡くしたこと、暴言騒動、年齢の壁、若手の台頭……笠は、そのどれもを「すべて受け止めてやっていく」と言う。「今しか見てない。先のことなんてわからないし、この後すぐに交通事故に遭うかもしれない。いろんな大切な人を失くすと、こんなふうに思うようになりました」

「熊本の人は 『よかよか』 という感じです」

「試合がないときは、ずっと熊本にいました。(上田)桃ちゃんや熊本出身の男子プロと、ラウンドやトレーニングをして。いつ始まってもいいように準備をしていました。昨年は何もかも初めてで。皆がそうでしたよね。でも、これも意味のある期間だと思いながらポジティブに考えてはいました」

こうして、試合が再開し、笠は再び戦い始めた。しかし、気持ちの面でぬぐえない変化があったという。

「私、20代のときはイケイケで、気持ちの面でも強かったんですが、マスターズGCの件で心が一度折れた。ゴルフを止めようとしたとき、勝負に対しても一度気持ちは薄れた。今も負けたくないとは思うけど、それは20代の頃の負けたくないという思いと、何か違う感じがして……でも、ゴルフは好きなんです。だから今は、自分のためというより、応援してくれる人がいるから頑張ろうと。今までは、笠りつ子というプロが中心にいて、見たい人は勝手に見ればいいと思っていたんです。でも今、弱い自分が試合でも出てきて、それを見せてはプロとしてダメだとも思う……やるからにはきちんとしないといけないし、難しいです。自分が自分じゃないというか、そういう部分もある」

それでも実際、試合でクラブを握れば、自分のためにほぼプレーしているかもしれないと笑う笠。弱さを認めればより強くなれる。

今も父・清也さんがキャディを務める。「父と一緒にできるだけやりたい。親孝行じゃないけれど、それが元気の源になってもらえれば。もともと全部自分で判断して決めるのでアドバイスはなし、ケンカもしないです」

「もっと強くなりたいし、悔しさも感じる。それがなくなったら終わり。だからまだ自分には、強い気持ちはあるんだと信じたい。今は、目の前の今日を一生懸命生きるしかないと思っています。悔いのないようにと。どんな結果であろうと、ゴルフができる喜びはあるんです。ゴルフができない人もいるし、この場に立てない人もいる。やっぱり自分が弱気でゴルフをしては絶対にダメだし、今日1日に感謝しながら……」

「今を受け止めている」「今しか見ていない」と何度も繰り返す笠。ゴルフとも自分とも、新しい向き合い方を模索している段階なのだろう。

もうひとつ聞きたかったこと。自身も家族も被災者となった熊本地震から、この4月でちょうど5年が経つ。

「早いですね。そういえば、昨春の(くまもと阿蘇CC)湯の谷コースの再オープンのとき、始球式をしてラウンドしたんです。ずいぶんコースは変わりましたが、頑張って復活してもらえてよかった」

熊本震災の後、最初の募金活動で。熊本出身の女子プロたちで、年末にはチャリティも続けている

熊本地震のチャリティは、同郷のプロたちと毎年続けている。

「最初の募金活動のときからすごくたくさんの方に足を運んでもらって。本当に感謝しています。熊本も復興しつつあります。熊本の人は、震災で辛い思いをしたけれど、『今も辛い』とは言わないと思うし、皆前を向いて生きています。熊本人の特徴かな(笑)。起こってしまったことを悔やむより、次にどう生きていくか、どうするかということをまず考える。それに皆力を合わせていくという強い気持ちがあるんです」

そうして笠は、「熊本が好き」と3回繰り返した。

「空気が好き、人が好き。空気はすがすがしくて澄んでいて、水も美味しくて、人は『よかよか』という感じで、拒否しないしオープンです。でも(今住んでいる)東京も好きなんですよ。干渉しない雰囲気もいいなって(笑)」

「少しずつそぎ落としてシンプルにしていきたい」

笠には、相談に乗ってくれる先輩も多い。

「(片山)晋呉さんたちには技術面、古閑(美保)先輩には精神面でいろいろと相談します。スウィングのズレは後輩にも聞きます。オフは、後輩と毎日トレーニングして、練習に通って、合宿もしました。アドレスや腕の力加減など、基本から取り組んだ。課題は“全部”ですが、大きな改造をするのではなく、少しずつそぎ落としてシンプルにしていくようにしています」

スウィングのズレさえ修正できれば、まだまだ戦えるか聞くと、「はい」とはっきり答えた笠。

「目標は、『勝つ』こと。勝ちたい、稼ぎたい気持ちは変わらない。そのためには勝つ準備をしなければならない。心技体、すべてにおいて必要ですが、まずはダイエットしなくちゃ(笑)。体のキレがショットのキレにもつながります。これが私の“持ち味”なので」

すべての面でもっと上手くなりたいという笠。独特の縦振りスウィングを改造するのではなく、さらに研ぎ澄ましていく。「でも前より、もっと飛ばしたい、飛距離を落としたくないとは思うようになったかな」

「勝ちたい」――今の笠にとって、この言葉に、どれほどの重みがあることだろうか。ただ試合に勝つだけでなく、この5年間に起きたさまざまなことに打ち勝つことでもある。

今年から、1バーディにつき1㎏の牛肉を「子ども食堂」に寄付する活動も始めた。

「困っている人の力になりたいんです。コロナ禍で食事ができない子どもたちがいる。美味しいものを食べてパワーにしてほしい。私も牛肉が大好きで、朝から食べたりします。これで1つでも多くバーディを取りたくなっています」

受け入れて、切り替える。人生もゴルフも同じ

じつは難しく戦略性の高いコースが好きだという笠。

「葛城GCなど井上誠一さん設計のコースや、茨城GCや小樽CCが好き。洋芝も好きです。常にドライバーを使うのではなく、14本でスコアを作っていく感じで攻め方を考えるのが好きです」

ゴルフ力が高いのだ。

「20代のときは、30歳までに賞金女王を取って一区切り、と言ってたんですが、もう33歳になりました(笑)。今は何歳までとは言わないようにしています。じつは、シニアの試合に出るのもいいねと後輩と話をしてるんです。結局ゴルフが好きなんですね。将来的にもやっぱりゴルフに携わりたい。ジュニアがゴルフできる環境をたくさん提供したいですし、具体的ではないけど、何か求められるものがあったら協力したい。人を教えることはできませんが」

一度折れても、根が強ければ、美しい花は再び咲く。

「私のよさは、ミスしても引きずらないこと。なるべく一喜一憂しないようにと思っていますが、それでも波はある。だから訓練もします。いろいろな知識を入れて自分で考えて試して。呼吸法やストレッチや水を飲んだりして気持ちを切り替えることもします。常に同じルーティンで生活するようにもしています。全部ゴルフにつながるように……今はゴルフのことしか考えていません」

ミスは受け入れて次につなげる、気持ちを切り替える……どれもゴルフに大事だが、プロにとっても簡単なことではない。しかし、それを笠りつ子は「勝つ」ために、やってのけるはずだ。

「私って、せっかちで、本当は気分屋で、性格悪い(笑)」と自己分析。しかし、笠がいると場がパッと明るくなる。「今年も全試合出るつもりです」。これも笠の持ち味だ。「無観客も現状では仕方ないと受け止めているんですが、やっぱりギャラリーはいたほうがいい。気持ちが締まるし、声援は力になります」

週刊ゴルフダイジェスト2021年4月27日号より