【インタビュー】金谷拓実<前編>「“一打への熱量”は誰にも負けない」
昨年の日本ツアー賞金王、金谷拓実。PGAツアーの予選会も突破し、満を持して世界に羽ばたく。PGAツアーに参戦する直前の金谷に話を聞いた。
PHOTO/Tadashi Anezaki、Yasuhiro JJ Tanabe
- PGAツアーの予選会を突破してツアーカードを手に入れた、金谷拓実。新しいスタートラインに立つまで、金谷は何に苦しみ、どう乗り越えてきたのか。改めて、「金谷拓実らしさ」に迫る。 PHOTO/Tadashi Anezaki、Yasuhiro JJ Tanabe 金谷拓実 かなやたくみ・1998年広島県呉市出身。広島国際学院高2年時に日本アマ、東北福祉大1年時にはアジアパシフィック……
目指すところは
ただひとつ
2024年、金谷拓実は前年の日本ツアー賞金ランク3位の資格を使い、DPワールド(欧州)ツアーを主戦場として考えていた。
「ヨーロッパでプレーできると思って準備してきた。それがあんなに出場権が回ってこないとは思っていませんでした。1月からずっと、エントリーしてもサイトを見るとウェイティングで25番目といった状況が続いていた」
年初はアジアンツアーに3試合出場し、予選落ち、7位、48位。4月の国内開幕戦、東建ホームメイトカップで優勝するあたりはさすがの実力者であるが……世界へ向いたもどかしい思いが焦りに変わっていく。
「一昨年末に(久常)涼が、『ヨーロッパのQTは“タイ”まで入れる。その人数が今年は多かったみたいです』と言っていたんですよね。6月にリランキングがあって、そのときにもう諦めるしかなかった」
せっかく出場の機会を得た全米プロ、全米オープンは予選落ち。
「まったく上手くいかないし、夏は国内ツアーでも優勝争いどころじゃなくてトップ10にも入れない。そこが自分を見つめ直すきっかけになった。やっぱり練習している“つもり”だったんですよね」
そこからは結果に関係なく、根性で練習するようにしたという。
「もう意地でやっていました。フジサンケイは悪天候で2日間の短縮となり、日曜日はプレー後、皆すぐに帰るんですけど、僕は11時くらいに終わって雨のなかでパター練習をずっと。こういうことをやったら神様はご褒美をくれるんじゃないかって(笑)。それくらいパターが全然よくなくて……」
神頼みなのではない。どんなに底に落ちても、手繰り寄せる何かを見つける。これも金谷の一つの才能なのかもしれない。
「糸や鏡の練習器具を使い、構える距離やスタンス幅を確認する当たり前の練習をやり続けました。考えてみたらそういう練習はしていなかったから、知らないうちに近くで構えたり遠くで構えたりしていたんです」
もともと得意クラブにパターを挙げる金谷。努力は、その方向性が正しければ、糧となり結果につながる。“生命線”を整えることで、自信が生まれ、よい循環が生まれた。これが結局、昨年後半の“助け”になったという。
9月後半のバンテリン東海クラシックで2位、ACNチャンピオンシップで優勝。金谷はこの時点ですでにPGAのQスクール2次参戦を決めていた。
「一昨年は(秋に賞金ランク1位に与えられる)ファイナルからの受験を決めていて、結局(ランク2位で)受けられなかった。今年は(平田)憲聖がすごくいいプレーをしていたから、ランク1位になるのは厳しいと考えたし、そもそも受けたかったので、結果に関係なく準備はしていました」
選択肢が多くあるからこそ選択がブレてはいけない。金谷の目標はあくまでもPGAツアーなのだ。
日本の終盤戦でもどんどん調子を上げ、賞金王も目指せるようになるが、目の前のことで精いっぱいだったという金谷。
「より、目の前の一打一打、になっていました」
日本オープンでも、粘り強くプレーし4位。状態は上がっていた。
「終盤は特にいろいろな人に、賞金王とかその先のことを言われて。でもできるだけ自分をコントロールして、周りをシャットアウトして、とにかく一打一打、の意識は強かった
諦める選手は嫌い
「自分らしい」はおまじない
金谷はインタビューなどで常に「自分らしいプレーをします」と言う。金谷にとって「自分らしい」とは何か、明確にあるのか。一度きちんと聞いてみたかった。すると言葉を考えながら丁寧に答えてくれた。
「やっぱり、一打一打に対する気持ちというか、熱量は、人よりも持っている自負はあるから。泥臭ささもそうですけど、全力を尽くす姿勢は、自分らしいプレーだと思います」
この姿勢は、金谷のプレーを見ているとよくわかるはずだ。ボギーが続いても再びバーディを重ねてくるし、1日目に叩いても必ず順位を上げてくる。パーセーブ率はプロ入り後、常に1位だ(海外参戦が多かった22年度は除く)。
「諦める選手は嫌いなんです。ふふふ。優勝争いでも、予選落ちするときのプレーでも、“一打”の熱量は同じ。それが自分のモットーなので、その気持ちはすごく大事にしています。学生のときからずっとですね。途中で諦める選手もいるけど、どのスポーツでもそういうのって見ている人には伝わっているんです。でも、『自分らしいプレーをします』って、言われても困りますよね(笑)。もっとしゃべれたらいいんだろうなと思ったりはするんです。でも、いいときも悪いときも自分を見失わないために、『自分らしい』ということをあえて言い続けていると、自分にも、おまじないのように返ってくるかなと思ってもいます」
母へのプレゼントは、アメリカで!
JGTOの表彰式で大活躍の母・美也子さん。「僕の代役。でも母は、いろいろな人としゃべるのが好きだから大丈夫だろうなと。実家でビデオを撮って分析されるので、今年は耳を傾けないようにしていました(笑)。(以前から体調を崩していた)病気に関しては、薬は飲んでいますが、だいぶ元気になりました。プロになってまだ目の前で優勝を見せられてないから、次は見せたいです」
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週刊ゴルフダイジェスト2025年1月28日号より
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