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【インタビュー】星野陸也<前編>グリップの力加減もわからない…「自分自身に“耐えろ”と言い聞かせながら過ごした1年でした」

昨年、28歳の星野陸也は、プロ入り8年目、DPワールドツアー(欧州ツアー)参戦2年目にして、ポイントランキング16位に入り、PGAツアーへの切符を勝ち取った。2月にカタールで優勝してからの怒涛の1年を振り返ってもらった。

PHOTO/Tadashi Anezaki THANKS/宍戸ヒルズCC

星野陸也 1996年生まれ、茨城県出身。6歳でゴルフを始め、水城高校を経て日大へ。中退し16年にプロ転向。18年にフジサンケイクラシックでツアー初優勝し、日本ツアー通算6勝。21年の東京五輪にも出場し、22年に賞金ランク2位となりDPワールドツアーへの挑戦権を得る。23年からは欧州を主戦場にし、24年のカタールマスターズで初優勝。

欧州ツアー初優勝で
PGAツアーへの昇格が見えてきたが…

「今までで一番我慢した年だなと思います。自分で『耐えろ!』と言いながら過ごした1年でした」

ホッとしたような表情で欧州での経験を語り始めた星野。

1年目は“学ぶ年”だった。初めての土地、コース、環境、食……出場ランク29番目というカテゴリーの低さからくるウェイティングとの闘いもあった。

「最初の半年は体力的にも辛かった。特に欧州本土までウェイティングで行くのはなかなかの賭け(笑)。だから毎回、めちゃくちゃ計算していました。でも出られるかどうかの試合に向けた調整と、メンタルの維持は難しかった」

しかし常に挑戦する姿勢が、星野にいい流れを呼び込んできた。リランキングが確定する最後の試合、ドイツで3位に入り、出場ランクを上げ、「その後はスケジュールが組みやすくなりました。つなぎ、つなぎでいきました」。

「今、自分にできることをしっかりやる」という戦略で少しずつ取り組んできた結果が2月のカタールでの欧州ツアー初優勝だった。

日本人4人目の優勝はカタールマスターズで。一緒にDPワールドツアーに参戦していた日本人選手たちとの時間もよい励みになったという

そして春に凱旋帰国。日欧共催のISPS HANDA出場前には、「久しぶりの日本の試合、すごく楽しみ。(5月の)全米プロもありますし」とワクワクが止まらないといった感じで語っていた。しかし、会場の太平洋C御殿場Cに入った日曜日の夜、呼吸がしづらくなり寝付けない。酸欠のような状態で起き上がると激痛が走った。

肺気胸――救急病院で診断され、救急車で即、大学病院へ。「右の肺が完全につぶれている感じで左の肺しか機能していないと。すぐにドレーン手術です。3日間、管を入れっぱなし。肺が自分で膨らまないけど、管とつながれたまま院内を20周くらいさせられる。唸るくらいの激痛でした」

幸い症状は軽く、1週間で退院したが、無理なトレーニングや練習は控えるよう、1カ月間の完全休養を余儀なくされる。全米プロはもちろん、パリ五輪代表権がかかるタイミングで一気に7試合出られなかった。シーズン初めに2位を2回、カタールの優勝でもポイントを増やしPGAへの昇格が見えてきたときでもある。

「ショックで1カ月間、ゴルフに関するものは見たくもなかった。最初の2、3週間はすごく難しいパズルをしたり(笑)。でもやっぱりゴルフが好きなんです。友人のプロと一緒に練習場に行って見てあげたりすると、やっぱりゴルフは面白いなあと思ってしまう」

グリップの力加減も
テークバックの上げ方もわからない

そしてほぼ完治したとき、欧州のランクによる資格で全米オープン出場のチャンスが回ってきた。

「先生に許可は得ましたが、ゴルフの感覚をあまりに失くしていて驚いた。僕はコーチを付けてこなかったけど、自分のことはわかっているつもりでした。調子が悪くなったとき、こういう練習をすれば戻ると全部体に入っていたんですけど、まずグリップしたときの力加減がわからない。筋力を戻すためトレーニングを始めても最初は200m走るだけで過呼吸になるんです。クラブも全部重く感じて、とりあえず『左を強く握る、右は添える程度』という感覚で握るしかなくて」

まるで初心者のように、テークバックの上げ方もわからなくなった。「何も考えずに上げていたのに全部ブレるんです。この2つが全然ダメなので、全米オープンに行っても上手くいく可能性はほぼない。でも、ゴルフ感覚を戻さないと、欧州では普通に戦ってもすぐに予選落ちしますから。試合を続けながら取り戻す作戦を考えて、次戦の出場予定より半月前倒しで全米オープンに出ることにしました。パインハーストにも行ってみたかった。あの難しいコースでは神経をより集中し、感覚を研ぎ澄ませる必要がある。そうすれば次の試合につなげられるのかなと」

結果は予選落ち。「悔しかった」が、次戦(オランダ)では10位に入る。「作戦成功です」と笑う星野。

「まだ握る強さがわからないからとりあえずインパクトゾーンだけ真っすぐに当たるようにやっていたら、アイアン以下は結構いい感じになったんです。でもウッド系は打った瞬間どこにいくかわからないという初めての経験で。1つ間違えたらイップスになるかもしれないと。それでもアイアン以下が本当に“神って”て(笑)。ドライバーを曲げてブッシュから4鉄でバーディチャンスなんて。あの試合、今見てほしいくらいです」と少年のような目で話す星野。

「そこから予選を何とか通過していき、ドイツの試合で握り方がいきなり天から降りてきたんです」とまた楽しそうに続ける。この試合は、前年に3位に入り、リランキングに成功した縁のある大会だ。

「戻るということを信じて、自分の今までやってきたやり方を何回もずっと繰り返しました。練習器具を使ったり、ここの筋肉を動かすとテークバックがアウトに上がるとかインに上がるとか。あのとき打ち方を変えなくてよかった」

染みついている修正術を続けていったら元の感覚が戻ったという。

「ゴルフ感覚は戻っても筋力が低下し、飛距離もかなり落ちていて、昔から使っている大好きな低い球が打てなくなっていた」。予期せぬ病気を経験として受け入れ、ひと回り大きくなった

「でもまだ苦しかった。前年の久常(涼)はポイント1800くらいでPGAに昇格できたけれど、昨年からシステムが変わったので2000は必要。最初の2戦で1100取れたので、カタールで優勝して正直、普通にやっていれば行けるな、と思っていたんです。それがまさかの気胸。でもまだ中盤、後半の大事な試合には出られると気持ちを切り替えた。今の調子なら頑張ってトップ10前後でポイントを積み重ねていくしかないと思ってプレーしました」

冷静な自己分析が星野の持ち味の1つである。

「予選通過すれば20ポイントは入る。これが最後に大事になってくると。気合いでした。1日で予選通過圏内に3回出たり入ったり。“気胸明け”なのにギリギリで予選通過するから休みがなくて(笑)。執念です。でもやっぱりカタールの頃の状態にはなかなか戻らない。8割くらいの“ゴルフ筋力”が戻ったのは最後の2試合くらいです」

しかし星野には自身の身に降りかかった病気という災難を自分の経験に変えてしまう柔軟性がある。

「次に何か起きたとき、あの経験があるから大丈夫だと逆に自信になりました。それを利用して次の経験に生かせると考えたんです」

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週刊ゴルフダイジェスト2025年1月21日号より