Myゴルフダイジェスト

【ターニングポイント】手嶋多一「“格好悪いゴルフが好き”そんなプロがいたっていいでしょう?」

TEXT/Yuzuru Hirayama PHOTO/Takanori Miki
THANKS/オリエンタルホテル福岡

一流と称される者には、自身のゴルフスタイルを確立するためのきっかけとなった転機がある。例えばそれは、ある1ホールの苦しみかもしれない。例えばそれは、ある1ショットの歓びかもしれない。積み重ねてきた勝利と敗北の記憶を辿りつつ、プロゴルファーが静かに語る、ターニングポイント。手嶋多一の場合、それは、自身の弱さと向き合った日本オープンでもあった。

手嶋多一
1968年生まれ、福岡県出身。93年プロ入り。レギュラーツアーでは96年~17年まで、22年連続賞金シード選手として活躍。01年「日本オープン」、14年「日本プロゴルフ選手権」のメジャー2勝を含むツアー通算8勝。19年に参戦したシニアツアーではデビュー戦の「金秀シニア沖縄オープン」でいきなり優勝を飾った



眩いグリーンを狙ったはずの球が、薄暗い林へと入ってしまうことがある。しかし、ときにはそこで、大切な何かを見つけるゴルファーもいる。
2001年10月4日、東京ゴルフ倶楽部における第66回日本オープン最終日。2位に2打差の単独首位に立つ手嶋多一にとって、プロ8年目にして巡ってきたメジャー初優勝のチャンスだった。
彼にはしかし、弱点があった。それは大舞台になるほど緊張し、最悪の事態を想像して不安に駆られてしまう精神面の脆さだった。案の定、9番パー4の第2打を林へと打ち込んでしまい、最大のピンチを迎える。のちに22年連続でシード権を獲得するまでになる彼が、ターニングポイントで見つけた「自分らしさ」とは。


昔から僕は「緊張しぃ」でした。デビュー戦でも1番ホールで手が震えてティーに球が乗らなかったくらい。1999年の沖縄オープンでの初優勝まで6年もかかりました。緊張してしまうと、球が曲がって左右どっちへ飛ぶかわからないし、チョロも出るからミスへの恐怖心がいつもあるんです。

気が弱くて、首位でまわっていても、どうせ勝てないんだから早くこの場から去りたいと思ってしまうんです。実際に1999年の広島オープンでは、6打差を逆転
されてジャンボさん(尾崎将司)に負けたこともありました。

緊張するのは、格好よくやりたいとか、勝ちたいとか、自分自身でプレッシャーをかけてしまっていたから。あの日本オープンもそう。3日目首位に立ったその晩は、ほとんど眠れませんでした。メジャーで勝てたら最高だろうなと。でも明日の朝一番からOBを打ったらどうしよう、なんてね。

「どこに外せば寄せやすいか
そればかり考えていました」

最終日は毎ホール、ショットが右へ行ったり、左へ行ったり、自分が何をしているのか訳がわからなくなってしまいました。同組でまわっていた友利(勝良)さんも、いい加減にしろと呆れていたでしょうね(笑)。9番パー4では、残り175ヤードの第2打を5番アイアンで打つと、グリーンの左側にいたギャラリーの頭を越えて、さらに奥の林の中へ。緊張もありましたけど、これは精神面の問題だけではないなと。技術面の裏付けがないから自信が持てない。それなのに、格好よく勝つなんて、できるはずないんです。

その林の中から打った第3打、ギャラリーの頭を越えてグリーンに乗り、2メートルを沈めてパーを拾えたんです。そこからはもう、最終18番までほとんど憶えていません。どうせこれだけ曲がるなら、どうやってグリーンに乗せるかではなく、どこに外せば寄せやすいか、そればかり考えていました。寄せワンでつなぎまくって、ふとリーダーズボードを見たら、2位に4打差をつけて首位でした。

後半のパーオンがわずか2ホールなのに優勝って、格好悪い勝ち方ですよね(笑)。でも、そんな泥臭さが、自分らしさなのかなって。そう思えるようになると、いつのまにか、緊張することがなくなっていきましたね。



「練習しない男」。
そんな異名が、手嶋多一というゴルファーの天才ぶりを物語る。
シーズン中、試合後は練習場へ寄らないことも多い。シーズンオフも、筋力トレーニングや、激しい打ち込みも走り込みもしない。けれども、ただ一点において、やはり彼も練習の虫である。それは、「飛ばす」ことではなく、「転がす」こと。目立ちたくないし、人気も欲しくないという彼にあったのは、ただ匠でありたいという、地味でひたむきな願望だった。


ショットは練習しすぎると、きれいな形を求めちゃう。でもプロの練習は、スコアを良くするためであって、フォームを良くするためではないはず。完璧なフォームに近づきたいのは確かですけど、あのベン・ホーガンでさえ、完璧なんて無理だったんですから。僕はコーチもつけたことがないんです。ゴルフで大切なのは、個性や感性を生かすこと。型にはめられたり、練習をしすぎたりして自分で自分がわからなくなってしまうなんて、本末転倒でしょ。

試合後も、あまり練習場で打ちません。以前は試合の5分後には会場から消えていたほど(笑)。いくら平らなライで練習して自分の体の動きを確認したところで、試合ではそんなことできる場面、ほとんどないですから。

「ショットは練習しすぎると
きれいな形を求めちゃう。でも
パッティングは別です」

だけど、パットは別です。昔から、パットだけは練習の虫でした。100回連続して沈めないと寝ない、99回目で外したらまた1から、そんなことをしていました。今でも試合の週の水曜日には、2時間ほど練習グリーンにいますよ。

パットだけは、練習すればするほど上手くなると信じています。再現性が高まるし、それに、執念を磨けるんです。特別なことはしていませんよ。パットでもあまり形のことは追求しすぎず、淡々とカップを狙うだけです。

僕はプロとして、地味な職人でいたいという思いがあります。「ゴルフの匠」じゃないですけど、そういう存在になりたい。派手なショットはないけれど、しぶとくパットで拾いまくって、いつのまにかまあまあの順位にいる、そんな選手がいいなあ。

ジュニア時代から、パッティングだけは“練習する男”を貫いている



小さな島国を飛び立ち、世界で活躍する。現在の若手プロ同様、かつて手嶋多一もそれを夢見た。
筑豊の元炭鉱町から、高校卒業後にアメリカへ留学。だがフィル・ミケルソンらとラウンドを重ねた6年間で気付かされた。世界には自分以上の俊才がいたことに。
日本オープンで国内メジャー初優勝後の2001年に全英オープンに初出場。結果は、世界の壁を再認識させられた83位タイの予選落ち。その晩悔し泣きし、翌日帰国せずにギャラリーとしてロープの外を歩いて決勝を見つめた。優勝したのは1年間在籍していたジョージア工科大学の3年後輩、デビッド・デュバルだった。


アメリカへ留学したのは、ミズノの奨めもありましたけど、僕自身が世界を見たかったから。でも、僕のゴルフではアメリカで通用しないと気付きました。全米学生でミケルソンと4日間まわって、30打差ぐらいつけられました(笑)。

初めて全英オープンに挑戦したときは、ジョン・デーリーと同じ組でした。狭いコースで僕は刻んでばかりだったのに、彼はパー3以外、すべてドライバー。それは飛ばしたいからだけではなく、ドライバーに自信があったからでしょ。飛距離の差も衝撃的でしたけど、ああ、僕にはそんな自信なんて、ないよなって。

それでも2006年、国内ツアーを欠場してヨーロピアンツアーに行くことを決めました。それは、もしかしたらヨーロッパでならやれるんじゃないかという気持ちがあったから。少しでも若いうちに行きたかったんですけど、テストを受けられたのは39歳。今思うと、もう遅かったんでしょうね。

「気が付いたら
昼からビールを飲んでました(笑)」

スペイン、ドイツ、フランス、イギリスなど欧州各国をまわるんですけど、プレーよりも移動がキツかったですね。しかもイギリスはなかなか晴れない、雨ばかりで、ホテルや飛行機や移動の手配に追われて、もう鬱ぎりぎり。気が付いたら昼からビールを飲んでました(笑)。

2015年、ミズノオープンで優勝することができて、また全英オープンの切符を手にできたんです。46歳にして、もう一度海外メジャーに出場ですよ。しかもその年は、会場がセントアンドリュース。これが僕にとって最後の挑戦だと思いました。

意気込んでいるのと時差とで、朝の3時半には目が覚めました。それなのに初日は最終組でスタートが夕方の4時13分! 3回ほど眠りなおしてもまだ時間が余って、試合までバーベキューでもしようかな、なんてね(笑)。

でも、コースも、雰囲気も、本当に最高でした。ここでどれだけのドラマが起きたんだろうと。こんな素晴らしい舞台に僕が立てるなんて、結果はまた予選落ちでしたけど、このために今まで頑張ってきたんだなと心から思えましたね。

46歳で挑戦した2度目の全英は憧れの地セントアンドリュース。喜びをかみしめた



プロゴルファーという職業は、50歳にして再び新人となり、輝きを取り戻すことができる。
レギュラーツアーで5年以上未勝利の手嶋多一も、一昨年の金秀シニア沖縄オープンでシニアツアー初出場初優勝の快挙を成し遂げた。国内シニアでの活躍の先に見据えるのは、各国のシニアの雄が集うチャンピオンズツアー。遠い日に諦めていたはずの夢が、胸の奥底には今も、燻り続けている。


レギュラーツアーに行っても、顔を知らない若手が増えました。谷口(徹)さんの顔を見ると安心しますよ。僕らは死にそうでなかなか死なない(笑)。

この歳になった僕らは、もう飛距離なんて求めません。それは最新の道具に任せればいい。ショットも力で飛ばすのではなく、いかに芯に当てられるか。歳とともに脳からの指令がちょっとズレていることがあるのか、芯に当てるのも難しくなっているのを感じます。だから頼れるのは、やっぱり小技ですね。

とはいえ、シニアに行くと明らかに距離が短いコースセッティングだから、鼻息が荒くなっちゃう。よし、パー5で2オンを狙おうと思ったら、僕だけじゃなくみなさん乗るわけですけど(笑)。

新人がシニアデビュー戦でいきなり優勝してしまうのも申し訳ない感じですが、それ以降続かなくて。やっぱり勝ちたい欲を丸出しだと失敗しますね。シニアでも自分らしく、泥臭くいこうかなと。

今の夢ですか? チャンピオンズツアーで戦うことです。昔かなわなかった相手に、ギャフンと言わせたいんですよ。長く続けることをモットーにやってきたから、若い頃には絶対に勝てないだろうと思ったんですけど、50歳を超えてみたら、どうなのかなって。もしかしたら……、そう思いたいじゃないですか。

●  ●  ●

インタビューを終え、エレベーターへと乗りこむ直前の彼に、最後に一つだけ訊いてみた。
コロナ禍の緊急事態宣言中、やはり練習はしなかったのだろうか。「暇でしたけど、たくさん球を打つことはなかったですね。素振りと、それに散歩かな。それも、今日は寒いからやめておこう、なんてね」
茶目っ気たっぷりに白い歯を見せつつ手を振る彼が乗るエレベーターの扉が閉じた。

月刊ゴルフダイジェスト2021年5月号より