Myゴルフダイジェスト

【陳さんとまわろう!】Vol.254 65年前の日本オープン初優勝はできすぎなことばかりでした(笑)

今年で89回目を迎えた日本オープン。今回はその思い出について語ってもらった。

TEXT/Ken Tsukada ILLUST/Takashi Matsumoto PHOTO/Tadashi Anezaki THANKS/河口湖CC、久我山ゴルフ

前回のお話はこちら

初優勝は
“3度目の正直”だった

──日本オープンが10月10日から東京ゴルフ俱楽部で開催されます。

陳さん そうだねえ。日本オープンも東京ゴルフ倶楽部も、私を今日ある姿に育ててくれましたから、感慨深いものがありますよ。日本オープンは私が川奈(ホテルGC/静岡)に修業に来たときの1954年と55年に出場していますけど、このときはスクエアグリップが未完成のときでしたから、成績は良くなかったはずよ。ただ54年の初出場だった東京ゴルフ倶楽部では予選ラウンドの初日に1オーバーで回って4位タイだったんだねえ。でもそのあとがね(笑)。


――じゃあ3度目の正直になるんですね、59年の初優勝は。

陳さん そうです。相模原(GC/神奈川)の東コース。島村(祐正)さんとプレーオフやって勝ったんだ。でも予選ラウンドを終わった段階では上位に入れるとも全然思っていなかったのよ。だって、初日も2日目も76だよ。東コースはパーが74でしたから4オーバーだ。順位は19位タイ。トップの島村さんとは9打差あったんだからねえ。

――しかし決勝の1日36ホールの戦いは45歳の島村さんを27歳の陳さんが追いかけて追い付いた。

陳さん そう。よく追い付いたと思いますよ。午前の18ホールは73。そして午後の18ホールは71だ。これでイーブンパーに戻してさ。東コースは17番と18番がパー5なんですよ。17番ではドライバーを2回打ってグリーンに乗せて、ピンまでそんなに遠くなかったから悪くてもバーディは取れるんじゃないかって皮算用したら、3パットしてパーに終わっちゃって。(笑)

――午後のラウンドですね。でも18番でバーディを取っています。

陳さん それが面白いんだね。島村さんがスコアを落とし、陳清波がスコアを伸ばしていることがわかってカメラマンの人たちが私の組に集まってきたわけよ。それで緊張したんだねえ、ティーショットを打つときに手が震えちゃってさ(笑)、右の林にボールを打ち込んじゃった。でも幸い打てる場所にあったからよかったの。そこからグリーンエッジまで運んで、2回で入れてバーディ取って。後で知りましたけど、島村さんが16番のパー3でボギーを叩いていて、18番でもボギーにして私と並んだんだ。

――島村さんは決勝戦で78、75と崩れましたね。それで翌日18ホールのプレーオフに突入と。

陳さん はい。眠れなくてね。3時ぐらいまで布団の中で寝返り打ってさ。よほど、嬉しかったんだね。追い付けるはずないのに追い付けたんだもの。明日、どうやってプレーしようか、いやいや早く寝なくちゃいけない、とか考えてね。寝たら5時ごろに目が覚めて。睡眠不足ですよ。これね、ずいぶん後のことですがね、サム・スニードと一緒にプレーしたことがあって、そのとき、試合が終わってホテルに帰ったら何してますか、って聞いたことがあってさ、スニードの返事は「ベッドで寝てる」だったよ。体をいいコンディションに保つためには横になることなんだって。座って休むよりいいって言っていた。結局、プレーオフでは島村さんが早いうちから崩れて自滅したというかな。寝不足でも勝てたのは、若さと気力。技術よりもね。プレーオフの10月1日は私の28歳の誕生日。できすぎだよね(笑)。

陳清波

ちん・せいは。1931年生まれ。台湾出身。マスターズ6回連続出場など60年代に世界で日本で大活躍。「陳清波のモダンゴルフ」で多くのファンを生み出し、日本のゴルフ界をリードしてきた

月刊ゴルフダイジェスト2024年11月号より