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【名手の名言】清元登子「“思う”ぐらいじゃ甘っちょろい。“念じる”の」

レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は元日本女子プロ協会会長でもあり不動裕理、大山志保、古閑美保と3人の賞金女王を育てた名伯楽・清元登子の言葉をご紹介!

不動裕理をはじめ数々の名選手を育てた清元(PHOTO/Kiyoshi Iwai)


“思う”ぐらいじゃ甘っちょろい
“念じる”の。
寝ても覚めても念じる
それしか頭にないぐらい目標を噛みしめる。
そうしたら、どうしたらいいか
知恵も浮かんできます

清元 登子


清元登子は2000年から6年連続で賞金女王に輝いた不動裕理の師匠として知られる。清元は不動を自宅に住まわせ、師匠という枠を超えて父母の役割をも果たし、全人的存在で文字通り手塩にかけて育てた。

その後も大山志保、古閑美保を指導し、大山は06年、古閑は08年に賞金女王となった。勝利数は不動50勝、大山18勝、古閑12勝と女子プロ界では圧倒的勝率を誇っている。

表題の言葉は、そんな名伯楽の、弟子を育てる際の覚悟を表している。

不動は言う。「先生は型にはめるのではなく、個性を伸ばすやり方でそれぞれのペースでじっくり練習に取り組ませるのです」

つまり生徒自身が念じて目標をつくりあげるのを待って、それから指導が始まるのである。逆から見ると、念じるほどの目標を作り得ないものは、育てるに値しないと清元は思っていたのかもしれない。念じることができるのも才能なのだろう。

清元自身の戦歴も鮮烈。24歳のときに独学でゴルフを始め、5年後には日本女子アマで優勝。34歳でプロ転向し、3年間米国女子ツアーに参戦した。78年には念願の日本女子オープンを制覇し、“女武蔵”として名を馳せた。

名うての寡黙の人と知られ、それがゆえに口を開いたときの重みはいっそう増すのだろう。

■清元登子(1939~2017)

きよもと・たかこ。熊本県生まれ。24歳で独学でゴルフを始め、5年後の1969年に日本女子アマで優勝。72、73年にも同大会を連覇。翌74年、34歳でプロ転向。3年間の米国女子ツアーに参戦のあと、78年日本女子オープン優勝。“女武蔵”の名をほしいままにした。プロ生活10年の間にツアー7勝を達成。引退してからは96年から2年間日本女子プロ協会会長職に就く。以後、副会長、ジュニア教育のかたわら、賞金女王6年連続の不動裕理を手塩にかけて育てる。続けて大山志保、古閑美保を指導し、名伯楽の名を築いた。02年「レッスン・オブ・ザ・イヤー」受賞。著書に『清元登子 魂のレッスン』(ゴルフダイジェスト社刊)がある。