19年前の今日、宮里藍がプロ転向後初優勝。その陰には、キャディを務めた兄の支えがあった【ゴルフが動いた日】
2003年、ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンで優勝し、初の高校生プロになった宮里藍。翌年3月に行われたダイキンオーキッドレディスでは、兄の宮里優作とタッグを組み、プロ転向後初優勝を故郷・沖縄で飾った。
今からちょうど19年前、2004年3月7日の朝、プロ転向4戦目となったシーズン開幕戦、ダイキンオーキッドレディス最終日を2位と3打差の首位で迎えていた宮里藍だが、食事がノドを通らないほど緊張していたという。
しかし、そんな藍を支えた心強い味方が、キャディを務めた兄の優作。父でありコーチの優氏をして「優作がいなかったら、おそらく勝てなかった。今回の優勝は彼のお蔭です」と語らしめたほど、絶妙な声掛けにより藍の良さを引き出していった。
週刊ゴルフダイジェスト2004年4月6日号「ノンフィクションファイル」に、その日の2人のやりとりが事細かく記されていた。その一部を以下に抜粋する。
* * *
最終日前夜、藍は翌日に備え、普段通り想像の中で18ホールをプレーする、イメージトレーニングを行った。が、ちょうど14番右ドッグレッグのパー4でのティショットを放ったところで睡魔が襲って来た。そのホールをパーで上がった途端、突然睡魔が訪れる。爆睡。
しかし翌朝は緊張のため、食べ物がノドを通らない。バナナを無理矢理、水でノドに流し込むが、胃が上がって来るような気がして落ち着かない。
「緊張してるんだけど」(藍)
「そうかぁ? オレは全然」と相変わらずの優作。
生まれて初めてトーナメントリーダーとして迎えた最終日、そして最終組。会場を埋め尽くしたギャラリーの声援に後押しされるように、藍は1番ティグラウンドに立った。
「あっ、ルーティンが早過ぎる!」
セカンド地点で見守る優が思わずそう叫ぶ。
案の定ヒール気味に当たったティショットはフェアウェイを大きく左に曲がった。が、優作は落ち着いて「大丈夫。昨日ボギーを叩いていないんだから、1個ぐらいボギーにしてもいいだろう。くれてやれ!」と声をかける。
* * *
ちょっとした1つのミスがきっかけでスコアを崩し、その後ズルズルと後退してしまうことはプロ・アマ問わずある。こうした状況で、いかに気持ちを切り替え、ミスを最小限に食い止めるか。そこにはキャディの役割も大きい。妹のことを知り尽くす兄だからこその、絶妙な間と物言いで、何度もピンチを救ってきた。
高校3年でアマチュア優勝を果たし、プロ転向4戦目でプロ初優勝。藍ちゃんフィーバーを巻き起こした宮里だが、その陰には、兄、そして家族の献身的な支えがあった。
プロ初優勝を支えた兄の名キャディっぷりとは?
週刊ゴルフダイジェスト2004年4月6日号「タッグを組んだ天才兄弟」を読む