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【ゴルフ野性塾】Vol.1763「インパクトの感触はヘッド軌道で変る」

古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。

前回のお話はこちら

南から降りて来る飛行機。

となれば北の風が吹く福岡上空であり、日本海からの風とゆう事になる。
飛行機の胴体と翼がキラキラと輝いている。
12月、機体の輝く日は少ないが今日は輝いて降りて来た。
そして着陸した。
今の時間、降りる機二機に対して飛び立つ機一機か。
現在時12月14日、水曜日。午前11時15分。
夏に較べれば離発着の機体数、増えて来た様な気はする。
今の私の願いはタイのバンプラGCでのプレー、そしてスコットランドへの旅である。
スコットランド最北部のB&Bに泊り、ゴルフ場あればゴルフをやり、なければ海岸沿いを散歩して過したい。
4回目のコロナワクチンとインフルエンザワクチンは打ちました。少し熱が出ただけだった。
「プロ、もうコロナは普通の風邪だよ。早くおいでよ。ドライバー飛距離170ヤードでも80台は出せるから、今だったらスクラッチでいいぜ」
「何を賭ける?」
「何、賭けてもいいよ。ホテル代と食事代とゴルフ場経費は俺の招待。金かな?」
「俺、賭けゴルフはしない。ただ、招待は喜んで受ける。俺の出し分は国際線の航空運賃だけか。よし、分った。行こう。ただ、今年は駄目だ。75歳の今でも仕事ありの身だから年末は忙しいんだよ。来年行こう。4月はどうだ?」
「暑いけど雨期は6月からだからゴルフは出来るな。よし、待ってる」

31歳の時、タイのバンコックでプラスチック製造業の会社を興し、会社が一番元気な時は従業員数550人の大きな会社になったが、今は350人でプラスチック加工品を作っている。
年齢は74歳。名は荒井晃。
彼の出身地は長野の松本市。
毎年、長野の山ん中で採れた松茸12本、送ってくれる男である。
大きい松茸もあれば小さいのもあったが、今年は天候不順だったのか、小さい松茸ばかりだった。
よし、目標は定まった。
タイに行こう。
今日から歩く距離を伸ばします。そして素振りの回数も増やそう。
12月19日の月曜日はTKU収録。コースは熊本空港CC。
5日間で変るものあるか。
多分、ないと思います。
それでは来週。

ジャイロ打法20球でドローになる。

ゴルフを始めたときからアウトサイドイン軌道でスライスです。シングルハンディの友人のようなドローを打つために、インからボールをとらえる練習をしています。バックスウィングでインに上げるほうがインから下ろせるのかと思っていましたが、友人は「それは逆だ」と言います。アウト気味に上げるからインから下ろせて、インに上げると逆にアウトからクラブが下りてしまうと言うのです。塾長、この話は本当ですか。どうすればインからボールをとらえることができますか。(愛知県・匿名希望・36歳・ゴルフ歴8年・平均スコア93)


40年前にもなろうか、中嶋常幸が貴兄の友と同じ事を言っていた。
その時、私は成程と聞いていたが、確かに中嶋の言う事には一理も二理もあった。人の世の理に叶う理でもあった。逆が真を生む事は多いと想う。
貴兄はスライス球をドロー球に変えたい望みを持つ方だ。
悩む時、人の一言は有難いものだ。ただ、理解出来る解釈が欲しい。解釈なき一言は聞き流して終るからだ。
私は悩む人の眼を見て話す。
そして口許を見る。
私の話を聞き始めた時と途中の口許、変化なければ理解されていないと考えて来た。
口許変れば変化生じている。
口許が固くなれば言葉使いを強くする。
小さな小さな一対一の戦いと思って私の主張を遠慮せずに述べて来た。
口許が緩めば優しい言葉で私の考えを述べる。褒めもする。
そして、大きく変れる時だネ、と言って話を終える。

私はスウィングの相談を受けた時、最初にアドレスを見せて貰う。次にアドレスからフィニッシュ迄のクラブヘッドの動きを見る。
ゆっくりと振って貰う。
ゆっくり振れば欠点よりも長所が見える。速く振って貰うと長所よりも欠点がよく見える。
誰でもが長所と短所は持つ。これ迄、持たぬ人はいなかった。
私は短所矯正よりも長所を伸ばす指導を得意として来た。
長所を伸ばして欠点が消える事はないと思う。人の世もゴルフスウィングもだ。
だが短所を矯正して行くと、矯正強まる程に長所は細まり、事、過ぎれば長所は姿を消す。
指導者がいつ迄も名指導者であるのは難しい。
ゴルフ理論、実践手段然り。
どれ程の理論と実践手段がゴルフ雑誌の中で消えて行ったかを知るは難しい程の多さと思う。

私は昭和58年11月、スポニチ紙上で8週間短期連載のゴルフ理論を書き、59年5月に週刊ゴルフダイジェスト誌でペプシ宇部の自戦記を書き、8月にOB論特集を書き、9月に自戦記連載に入ったが、翌昭和60年、マスターズ観戦記執筆を頼まれ、この時は喜んでオーガスタへ向った。
5日間で18ページ書いたと記憶する。ただ、ページ数確かではない。何てったって37年前の事である。間違いあったならお許しあれ。
そしてオーガスタから帰国した2週間後、50冊の原稿用紙が私が住む福岡県豊前市の雇用促進住宅に送られて来た。
「次の連載、お願いします。タイトルは野性塾。いいタイトルでしょ。それではよろしく」
一方的な電話だった。
編集長の中村信隆からだった。
私は義理は欠くが直接の頼まれ事を断るのは下手だった。
担当が3人付いた。
古川正則と牛尾卓志と中村が担当になった。皆、私より1歳2歳年下のベテラン編集者だった。
今日、野性塾はまだ続いている。
私は長所を眺めて過す研修生生活3年と11カ月、プロゴルファー生活47年のゴルファーだったと思う。
短所を眺めていたら体重97キロ迄は行かなかった筈だ。
今の体重は80キロ。
人の世も己の身にも拘り持たずの日々を送っているが、年と共に体重は落ちて行く。然り気なく生きて行けるは幸せだ。

貴兄はスライスから逃れたい方だ。
ならばドフックを打て。
両の踵をくっ付け、爪先の開き30度のアドレスを為し、グリップは左の親指と人指し指のV字を右肩に向け、右グリップは左グリップと同じ方向に合せればよい。
そしてトップスウィングは左腕地面に平行の位置に上げ、そこから腹の力でダウンスウィングに入るのです。腕に頼るのではなく、腹の力に頼るが肝要。
20球も打てばアウトサイドインのヘッド軌道は変ります。
逆にフック球に悩み、クラブヘッドのインサイドアウト軌道を修正したいのであれば、爪先をくっ付け、両の踵を開いた逆ジャイロ型のアドレスで打てばいい。10球で変る。
そしてインパクト時のボールの感触を追って行けばいい。
インサイドから入って来たヘッドとアウトサイドから入って来たヘッドのインパクト感触は異なる。
こうやればこうなる、とゆうのはどなたもが知っている事。ただ、その通りに出来るか出来んかだ。
修正能力を多く持つジャイロスウィングの評価は低い。でもそれでいいと思う。私は高い評価、低い評価の中で生きて来た。これからもそうであろう。
今、福岡けやき通りの15階で不満はなく、満足覚える日々を過している。
貴兄は両の踵をくっ付けたジャイロアドレスで球を打て。
以上です。

坂田信弘

昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格

週刊ゴルフダイジェスト2023年1月3日号より