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【ゴルフ野性塾】Vol.1761「ヘッド軌道は眼線で変る」

古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。

前回のお話はこちら

今日12月1日、
午前11時57分。

窓の外は曇り。
昨日から寒くなった。
昼の気温、今日は昨日よりも3度は低くなると女房が教えてくれた。
女房殿、今日も朝から洗濯している。
主婦は楽しいお仕事ですよ、と言う。
飛行機が北から南へと迂回し、降下態勢に入った。
今日は南の風が吹いている様だ。
離着陸する飛行機が教える風の向きである。
70歳過ぎて強く感じている事だが、人の世、自然から教わる事は多いが、教える事はなく、気付く事増すばかりの75歳から76歳へと向う途中。
体調良好です。

かかとくっ付けて
アプローチせよ。

アプローチがダフるようになりました。2球に1球はザックリで、2度打ちも珍しくありません。ラフからは球が浮いているので普通に打てますが、花道からは怖くてサンドウェッジを持てません。どうすれば、以前のように花道からサンドウェッジで寄せられるでしょうか。(宮城県・村上修仁・48歳・ゴルフ歴15年・平均スコア90)


スウィング軸に歪み生じていると思う。
恐怖、予期不安、過度の欲生じれば何かが変る。然れば、体・技・心のどこかに異和生じる。
人それぞれの異和なれど気持ちの重たさに変化生じて行く。
そしてスウィング中、重心位置が変る。
誰もが望まぬ変化と思うが、その変化に対応出来る手段を持つか否かで1ストロークか2ストロークの違いは生じる。
プロの領域、この対応の知恵と経験、己のものに出来ているか否かでプロで生きて行けるか生きて行けないかの明確な差、生じて行く。
いつもと異なる重心位置生じるとスウィング中の重心位置と体の動き、そしてスウィング型が変るは当然。結果、ミスショット生じ、1打か2打を失い、自信も失うであろう。

ゴルフクラブ14本の中で最も自信与えてくれるのはアプローチである。
ドライバー100球の練習とアプローチ100球の練習、試合が近付く程にアプローチ100球の練習が自信与えてくれるものと思う。
練習は疲れる。
勿論、人それぞれ、練習の量と質で異なる疲れではあるが、その疲れを超えて行けば自信が生れよう。
そして、自信の先にはこう打てばこうなるとの確信が待つ。
それでもプロの領域、確信に辿り着ける練習出来ている者の数は少ない。
自分ではやって来た事と思ってもやれてなかったとゆう事は多いものだ。

私がそうだった。
だから知恵知識と経験を己のものとする事が出来なかった。
己のものとするには幾つかの超えねばならぬ努力の嶺があると思う。
私は超える事の出来ぬ者であった。
努力の嶺は曇天の世界、前は見えぬ。大きさも広さも高さも形状もだ。
故に一歩一歩の歩みが要る。
そして超えれば異なる空、新たな景色と出会えるであろう。
私は曇天の空から抜け出す事が出来なかった。
曇天の空から抜け出して晴れたる空と出会った時、その空は勝利の空となって行くと思う。
5勝すれば5つの晴れたる空と出会う。10勝すれば10の晴れたる空だ。
今は分る。
勝利は勝利を生む。
力と努力の手段を与えるものであった。

二人の男、同じ球数、同じ練習時間を共に過したとて結果は異なる。
一人は曇天の空の下、知恵知識を使わず、単純単調な時を過し、もう一人は明確な自信を持って練習続けるか。
単純単調な練習には退屈と惰性が生じると思う。
明確さには意志の強さが要る。
その違いは大きい。
前の見えない曇天の空を抜け出すには意志が必要だ。

スウィング軸の歪み生じた時、その歪みはアドレス時の体重位置から生じていると思う。
そして、本能が修正に向う。
スウェイを修正の第一の手段として使おうとする。
強振はスウェイを生むが、修正に向う手段としてスウェイスウィングも生れるのです。
貴兄はスウェイしている。
いい結果を望む意志の力ではなく、ミスを回避しようとする修正、本能の働き生じている様な気はする。
修正本能生じた時の動きには眼線のズレとアドレス時の体重位置のズレが生れる筈だ。
今、アドレス時、ボールのどの位置を見ているか、の確認が欲しい。 ボールの真上か、先か手前か、左か右か。
気付かずに眺めていた球を見る眼線、今一度の確認が要ると思う。これ迄とは違っている筈だ。
ダフるのであれば球の真上を見た方がいい。
インパクト時、ヘッドが深く入り過ぎるのならば球の手前、要するに自分寄りの球の位置、逆に浅く入り過ぎていると思えば球の先端、自分より一番遠い球の位置を眺めれば修正出来ると思う。それが知恵であり、経験であろう。
そしてダフる時は球の真上だ。

私のゴルフの師匠は小針春芳プロ、金子光雄プロ、橘田規プロの3人だが、小針師と橘田師のアプローチ練習は長かった。
私は師の前に坐り、一球一球毎、球を置いていたが、ボールに印字してあるボールメーカーの名の位置を少しでも変えると師は球を打たなかった。
最初は分らなかった。途中で分った。
メーカーの印字は師の眼線を生む手助けとなっていたのです。
戦いの場、練習通りのスウィングが出来る訳ではない。
気象状況も違えば、距離もその時その時であり、球のライ、スタンスの傾斜、地面の硬さ、芝生の芽の方向もその時その時の対応は必要だ。
それでも師は己の基本を確かめる為の練習に徹していた。
特にアプローチ練習に。
師の練習時、私は印字の方向と位置をズラさぬ様、注意して置いた。
橘田プロは言った。
「賢い男だな。その賢さ、いつ迄も失くすなよ」
小針プロは言った。
「いい練習が出来た。有難う」
当時、プロの練習には球拾いのキャディさんが付いていた。
私は球打つ前の球置きだけさせて貰っていたが、バンカー練習の時が一番勉強になった。
師が打った後の位置を手でならし、球を置き、師の打つのを待ったが、どんなヘッドの入りをしているかに興味があり、ほんの少しではあるが、集めて盛る砂の量を変えていた。

私がゴルフ始めて2年過ぎた時であった。コースは愛知県豊田市の貞宝CC。その夜、橘田プロは焼肉を御馳走してくれた。
「少しは勉強になったか?」
と師は問うた。
「なりました。でも充分には程遠いと思ってます」
「そうだな。あと2年は要るか」
説明不必要の会話だった。
小針プロと橘田プロとは禅問答に近い会話が多かった。
そしてその御馳走になった夜から1年と7カ月後、私はプロテストに通った。
鹿沼CCに戻る日の朝、「帰るのか?」と橘田師は呟き口調で言って来た。
「ハイ。帰ります。鹿沼を出た時、帰る約束をして来ましたから」
「次に会う時は試合会場だな」
橘田師の許を離れたくはなかった。しかし、私は鹿沼との約束を守った。そして今日がある。

貴兄はアドレス時の体重位置に鈍感であると思う。
両の足、踵に体重を掛ける打ち方を勧める。
それはジャイロスウィングのアドレスだ。
スウェイはしないし、出来もしないのがジャイロである。
両のかかとをくっ付けたスウィングで打てばいい。
それでダフリは直ります。
以上です。

坂田信弘

昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格

週刊ゴルフダイジェスト2022年12月20日号より