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【ゴルフ野性塾】Vol.1802「リトラーの体重移動を真似た」

古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。

前回のお話はこちら

昨日10月11日、
76歳の誕生日。

花は届いた。祝い物も届いた。
しかし、福岡市中央区赤坂の15階マンションに集ったは女房と私だけ。
長男雅樹は大手前大学ゴルフ部指導で西宮に行きっ放し。
秋の関西1部リーグ戦。男子は近畿大、大阪学院大に次ぐ3位。女子は春リーグ戦、秋リーグ戦と続いて優勝。そこ迄はいい。不満はない。
ただ、相も変らず最終日の後半9ホールが弱かった。

宝塚GCで10日、11日と行なわれた秋リーグ戦、「何故叩く?」と問うた。
大手前大学ゴルフ部監督の雅樹の声は穏かだった。
「分りません。前半は5人中3人がアンダー、1人がパープレー、もう1人が1オーバーだったのに、後半の9ホール、パープレーは1人だけで残り4人はオーバーパー。それも40叩いたのが2人もいる大乱調。呆れてただ笑うしかなかったよ。前半12打離していたのに終ってみれば2打差。これでは全日本、戦えないネ。どうすればいいのか、教えて下さい」

雅樹も嘆く後半の弱さ、大手前の伝統になりつつあると思う。
春もラスト9ホールで追い上げられ、秋も追い上げられた。

「道楽息子と同じだな。親の財産、食い潰しか」
「全日本リーグ戦は11月7日から10日迄、片山津で行われるけど、今のままだと5位から9位くらいだネ、男女共。福岡には帰れない、このままだと。誕生日おめでとう」

そして電話は切れた。
長女寛子も電話1本の誕生祝い、寛子の子供2人も電話だけ。
しかし、皆、それぞれの日々、それぞれに過すは幸せ。それで充分。
女房殿と2人だけの夕食。そしてモンブランのケーキにロウソク刺して祝ってくれたが、老い行く祝い事って単純化するばかりかな。淋しくもなければ嬉しくもない76歳突入の日じゃありました。

現在時、朝の7時5分。
これよりファックス送稿。
そして眠ります。
体調良好です。

バンカーが得意な友人を摸倣せよ。

バンカーショットでボールが右に飛びます。スタンスをオープンにして、フェースをピンに向けて、スタンスに沿ってカット軌道で振っているので、ピン方向かピンより少し左に飛ぶと思うのですが、なぜかピンより右に飛び出してしまいます。そのため、上手く打てたときも、ピン横1メートルに寄る感じです。インパクトのとき、過剰なハンドファーストでフェースが開いてしまうからでしょうか。フェースを閉じながら打つと、ピンの左に飛んで距離感も出せません。塾長、ピン方向に打つにはどうすればいいでしょうか。(神奈川県・佐藤賢人・43歳・ゴルフ歴12年・平均スコア84)


何事にも系譜は存在する。
系譜を歴史と述べる人、伝統と語る人、いると思うが、要は繋がりだ。
ゴルフ然り。ゴルフ誕生の時より球の叩き様、スコアの作り様、競技の成立させ様は経験の中と語らいの中で繋がって来たと思う。
そして、経験と競技実績が理論を生み、系譜の存在は強まった。
その時代の競技に強き人が系譜の中心となり、模倣も始まった。
人の世の習い事、稽古事、戦い事、継続事は摸倣から始まると思う。
そして、模倣の域を超え、己の領分に入る訳だ。
己の領分に入る事、難しくはない。
根気と達成の喜び、一つの目標あれば達する事は出来る。
難しいと思えば難しくなり、易しいと思えば易しくなるのが習い事と思う。

系譜の中に、50センチ、1メートル、1.5メートルの距離を総て入れよ、1球でも外したら最初からやり直せ、との教えがあった。
私もその練習はした。
50センチ入れるのは簡単だった。
1メートルは難しかった。
しかし、1メートルの距離とラインに慣れれば難しさは薄まった。
1.5メートルは気持ちの向き様で難度は変った。
距離長くなる程に体・技・心の中の心への負担は増した。
そして、気持ちをどこへ向ければ連続の1.5メートル、外さずに済むかと申せば、集中の位置次第とゆう事が分った。

24歳になったばかりの時にゴルフを始め、27歳と11カ月、正確なる年月を申せばゴルフ歴3年と11カ月でプロテストに通った者なれど、ゴルフ始めて3カ月過ぎた時の50センチと1メートル、そして1.5メートルへの挑戦だった。
ゴルフ経験皆無で栃木県の鹿沼CCに研修生として入社したが、模倣の才能、浅き者だったと思う。
摸倣上手なればスウィングは模倣相手に似るものだ。
私は模倣したくても似る事はなかった。ただ、根気と頑固さはあった。
ゴルフ始めて52年過ぎるが、今も52年前の摸倣のスウィングで打つ事は出来る。
一番長く模倣したのはジーン・リトラーだった。

ゴルフ始めて10カ月過ぎた頃、厚木国際のテレビマッチでジーン・リトラーを見たが、トップからフィニッシュにかけての右脚の左脚への寄り様は驚きだった。
スーッと寄っていた。
フィニッシュは左脚と右脚が1本の脚になっていた。
時、過ぎてマスターズでグレッグ・ノーマンのスウィングを見た時、ジーン・リトラーのスウィングがノーマンの中に生きていると感じた。
リトラーは脚の腫瘍摘出の手術をし、その後、右脚のスライド打ちは消えたが、世界で最も体重移動美しきプロゴルファーは脚の手術前のジーン・リトラーだと思っています。

スウィングに悩んでいる時、球曲る時、私はジーン・リトラーの摸倣に戻った。
リトラースウィングの摸倣が私のゴルフの源流だった。
才能浅き人程、模倣は必要と思う。
ただ、如何に真似ようともリトラーのスウィングにはなれなかった。
右脚のスライドとフィニッシュの高さだけを真似たからである。
摸倣はフィニッシュを作る。
貴兄は誰のスウィングを真似ている?
摸倣には手順がある。

バンカーショットは1本の線叩きから始まる。砂の上に1本の線を引き、その線叩きである。
同じ地点を叩くはスウィングの基本なれどバンカー然り。
ゴルフは距離と方向の合致ゲームなれど、叩きの痕、左右に散る様では如何様なるゴルフ理論、持ったとて距離と方向の合致は困難だ。

貴兄は模倣せよ。
動画の摸倣が必要。
毎晩同じスウィングを20回連続で眺めて貰いたい。
1カ月でいい。
体は同じ動き出来なくとも意識は生じる。
摸倣は意識から生れるものと思う。
摸倣せよ。
貴兄の悩み、救う手段は他にはないし覚悟は必要だ。
摸倣、そして己の現状を変えるに必要なのは覚悟である。
必死になれば、変える事は出来る。
その確率は70%か。
人は必死、懸命、一途さが生む力を持つ。
なれど、己の必死、懸命、一途さを知る機会は少ない。

今、貴兄に本稿でアドバイスしたとてこれ迄と変らぬバンカーショット続くと思う。
貴兄を変えるは動画だ。
貴兄の周りにバンカーショット得意とする方はおられよう。
その方のバンカーショットを収めればいい。
そして、眺め続けるのです。
正面、飛球線後方、左手前の3つの位置からのスウィング動画。
球3球の動画あれば充分。
模倣は出来る。
摸倣1カ月後の連絡を待つ。
以上です。

坂田信弘

昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格

週刊ゴルフダイジェスト2023年10月31日号より

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