【ゴルフ初物語】Vol.53 売り切れ続出で予約販売も!? 40年前「カラーボール」が一大ブームに
白いボールよりも見えやすく、ロストしにくいと人気のカラーボール。日本で一大ブームが巻き起こったのは今から40年前の1981年秋。各メーカーから続々と色付きボールが発売された。
塗装ではなくカバー全体をカラー化
国産のカラーボールは1960年にファーイースト社から発売され、金、銀、オレンジ、イエローなど7色が作られていた。当時、米国からのカラーボールの注文が多く、日本でも売れるのではと作られ、まずまずの反響を呼んだが、人気は一時的で、すぐ下火に。同社が「ドムハート」の名で販売を再開したのは20年後の80年頃で、色はオレンジ、イエロー、ブルーの3色だった。
他の国産メーカーも中近東などの砂漠地帯用に赤いボールを輸出しており、また英国では「スノーボール」としてオレンジ色のボールが早くから作られていた。ところが81年に日本ツアーでも2勝を挙げているジェリー・ペイトが「目立つばかりか、パットのときに集中できるし、打ったあとボールの転がるラインがよく見えていい」とオレンジ色のウイルソン「プロスタッフ」を使用してコロンビアオープンに優勝したことから大人気に。当初は日本で販売する予定はなかったが、あまりにも要望が強かったため急遽、輸入することに。
81年の秋にはダンロップ「タフマックス」など6社から相次いでカラーボールが発売されると、すぐに売り切れ、ショップによっては予約販売になるほどだった。だが、これらのカラーボールは従来の白いボールに表面塗装をしただけで、色がすぐに剥げやすく、下地の白が見えてしまうのが欠点だった。そこでカラーボールでは出遅れた感があったブリヂストンが82年1月に発売したのが「ADレクスターXT」。他社に先駆けて、カバー自体を着色することに成功し、色が剥げることを解消した。82年3月には静岡オープンで出口栄太郎がオレンジのダンロップ「プロマックスカラー」で優勝。国内男子ツアーでカラーボール使用者の初Vとなった。
カラーブームの火付け役となったジェリー・ペイト。ルーキーシーズンの1976年全米オープンに22歳で優勝。PGAツアーで8勝を挙げているが、82年のプレーヤーズ選手権でもオレンジのボールで勝利している
週刊ゴルフダイジェスト2021年9月14日号より