【目黒・チャーハン】これぞ伝統の味。パラパラ炒飯は料理人の腕の見せどころ
中華料理の定番だけに名店は数あれど、今回紹介するのは、磨き抜かれた技が、地元のみならず全国のチャーハン通たちを魅了するという目黒・不動前の「味一」のチャーハンです。一見、何の変哲もない〝街の中華屋〞が生み出す至福の一皿に込められた想いとは。
ゴルフ場メシ向上委員会は「高くて」「マズい」と何かと不評の多いゴルフ場の「味改革」に役立つヒントを探しながら、誰もが食べて旨いと感じる味覚の標準値を探ります。「旨いの基準」は本家本元、本流の味を提供し続ける伝統店、人気店のメニューを考察し、多くの人に支持される味の秘密に迫るものです
チャーハンが生まれたのは、なんと平安時代
史実に残されるチャーハン最古の記述は「唐の時代(7世紀ごろ)、隋の宰相を務めた楊素が、卵とご飯を炒めたものを好んで食べていた」というもの。7世紀と言えば、ちょうど中国では米が食文化の中心となりつつあった時代。それに加え、鉄器技術が急速に進歩したこともあり、それまで煮る・焼く・蒸すしかなかった調理法に〝炒める〞という新たな選択肢が生まれたことから、ごく自然にチャーハンが生まれたのだろう。
そして同時期、頻繁に中国へ派遣されていた遣唐使が、さまざまな中国の食文化と共にチャーハンも持ち帰ったという記述が残っており、平安時代の書物「倭名類聚抄」では、調理法や材料まで詳細に紹介されている。
すでに当時から、日本国内でも現在と同じようなチャーハンが食べられていただけでなく、大きな中華鍋を使って強火で卵と米をパラパラに炒めるという調理法まで確立されていたというから驚きだ。
そこから1400年以上がたち、今や中華料理の定番中の定番ともいえる現代のチャーハン事情へ目を移すと、あんかけがたっぷり乗ったものや、スープを米で炊いた後に炒めた〝台湾風〞、はてはコンビニのおにぎりや、チンするだけで食べられるチャーハンまで多岐にわたるが、やはり王道はと言うと、ひと粒ひと粒の米が油と卵をまとった〝パラパラ系〞だろう。
薄い油をまとった米粒が、口の中でパラパラほどける
定番だけに名店は数あれど、今回、紹介するのは、磨き抜かれた技が、地元のみならず全国のチャーハン通たちを魅了するという、目黒・不動前の「味一」。一見、何の変哲もない〝街の中華屋〞のチャーハン、実力はいかほどか。
いたって普通と思いきや、奥の厨房へ目をやると、その〝尋常じゃなさ〞の一端に触れることになる。鍋を振る右腕にはギブスのようなサポーター、腰にはぶ厚いコルセットが巻かれている。料理人と関節痛は切っても切れない関係と言われるが、ここまでとは…。
「子どもの頃、近所にある中華屋さんでチャーハンを食べるのが楽しみだったんですが、店主が高齢ということもあり、店を閉じてしまったんです。ちょうどその頃、近所の中華屋が相次いで閉店したこともあり〝この味を引き継いでいきたい〞という気持ちだけでこの世界に入ったんです」と店主の今野博史さん。
独学でチャーハンを研究し、06年に自身の店を開店。当初からタンメンが旨い店として注目を浴びたが、その陰で脳裏にこびりついた〝あのチャーハン〞に近づくべく、ひたすら中華鍋を振っていたと言う。
「パラパラに作るには、お米ひと粒ひと粒を油と卵でコーティングするように鍋を振るのが肝なのですが、コツなんてなくて、結局は〝腕と経験〞なんですよね」
テーブルに置かれたのは六角形の器に丸く盛られたチャーハン。誰もが子供時代に心を躍らせたであろう不変のカタチだ。
均一な炒め具合に感動しつつパラパラこぼさないよう口へ入れると、米と具材が一体となって主張してくる。口の中で具材がパラパラとほどけるたびに、ナルトの甘みと焼き豚の塩気、ネギの爽やかさが次々に押し寄せ、レンゲが止まらない!
汗だくで完食し、これが〝あの味〞なんですね、と聞くと「まだまだです」と一言。ということは、もっと旨くなっていくのだろうか。恐るべし〝街の中華屋〞
目黒不動近くにある行列が目印
【中華 味一】
東京都目黒区下目黒2-24-7
TEL.03-3490-9531
11:30~15:00/17:30~22:00
無休
東急目黒線・不動前駅より徒歩6分
こじんまりした店内の至る所に著名人のサインが貼られる。食通で知られる名前も多い。
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