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【名手の名言】バイロン・ネルソン「上達の最大の敵は“言い訳”をすること」

レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は、ベン・ホーガン、サム・スニードとともに「ビッグスリー」として時代をリードしたバイロン・ネルソンの含蓄のある言葉を2つご紹介!

1945年に達成した11連勝を含む年間18勝の記録はいまだ破られていない


上達最大の敵?
それは言い訳をすることさ

バイロン・ネルソン


ゴルフ場には絶えず“言い訳”が飛び交っている。

1つは、ミスショットをしたあとの、「アーッ」とか「ヒーッ」といった叫び声。とっさに口をついて出た声の場合もあるが、その多くは「普段はこんなミスはしないのに……」という周囲への言い訳が言外に含まれている。

しかしきっと周りの人は、そのミスは「普段通り」だと思っているはずだ。

もう1つの言い訳は、打ったあとすぐに出る「ダフった」「こすった」「ヒールだ」といった類の、自分のミスを解説する言葉。

いちいち説明してくれなくても、周りは見ていればわかる。これも、自分はもっと上手いのに、たまたまミスをしてしまったということをアピールするための言い訳であろう。

つまり言い訳は、本当の自分を知らないために出るのである。自分を知らなければ、進歩や上達は見込めるはずもない。

スライスが出るのは誰のせいでもなく、自分がそういうスウィングをしているから。その事実を認め、原因を探り、改善に向け試行錯誤することが、上達への唯一の道なのだ。

伝説のアマチュア・中部銀次郎氏は、オナーとしてティーショットを打ったあと、同伴競技者の3人が打ち終わるまで静かに待ってから、キャディにボールをもらい「暫定球を打ちます」といってティーイングエリアに戻り、打ち直した。

最初のボールは自分でOBだと知っていたからだ。しかし、最初に打ったときは表情に何の変化もなければ、フィニッシュが崩れることもなく、まったく普段通りなので誰もOBゾーンに打ったなどと思わなかったのだ。

どんな人でも、自分の打った球がOBと分かれば、しまったという顔をしたり、フィニッシュで体をひねったりして、なにかしら「言い訳」的な表現をするものだが、中部氏はそういうことが一切ない人だった。

言い訳は愚の骨頂で、ゴルフの品位を落とすことを真に知っていた。まさにバイロン・ネルソンの言葉を体現するような人物だった。


ゴルフで力が必要とされるのは
使ったクラブをバッグに戻すときだけだ

バイロン・ネルソン


たとえば2オンが狙えそうなパー5や、ドラコン賞のかかったホールのティーショット。遠くに飛ばそうと力みに力んで、上手くいったためしがどれだけあるだろうか?

一方で、OBを打ったあと、開き直って何も考えずに打った打ち直しの一打が、今日イチのナイスショット! という経験がある人も多いだろう。

ゴルフはある意味、逆説のゲーム。飛ばそうとすればするほど上手く飛ばず、スライスを嫌がれば嫌がるほど、スライスしてしまう。

強いアゲンストでボールを強く叩きにいくほど、スピンが増えて風に負けてしまう。風が強いときほど、あえて“なでる”ようにゆったり振ったほうが、スピンが抑えられて風に強い球になるものだ。

ゴルフを始めて間もないときはなかなか気づけないが、歴を重ねるにつれ、「脱力」の重要性に気づくはず。

それでもなかなかこのネルソンのように、「スウィングに力は必要ない」と言い切れるほど、達観することは難しい。「柔よく剛を制す」という言葉もあるが、達人たちはどんな分野でも、鍛錬を重ねるなかでそうした真理に到達したのであろう。

■ バイロン・ネルソン(1912年~2006年)

テキサス州フォートワース生まれ。10歳からキャディを始め、20歳でプロ入り。仲間にはベン・ホーガンがいたが、性格は正反対だったという。その後サム・スニードを加えた3人は、「ビッグスリー」として時代をリードした。1937、42年マスターズ優勝。39年には全米オープン、全米プロは40、45年の2度優勝している。また45年には前人未踏の11連勝を達成し、年間平均ストローク68.33という驚異的数字を残している。ヒッコリーシャフトから、当時開発されたスチールシャフトにいち早く切り換え、それが美しいワンピースのスウィングを獲得する要因になった。引退してからもネルソンに師事するために門を叩くトッププロは多く、長くツアー界の大御所として君臨した。