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【ゴルフ野性塾】Vol.1742「ヘッド軌道の変化が30ヤードを生む」

古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。

前回のお話はこちら

今日7月14日。
福岡の空は

晴れている。
ただ、北の東に重なり合う雲が浮んでいる。
灰色の雲だ。
銀色の入道雲じゃない。
蝉が鳴き出した。
女房殿、洗濯日和と叫んで朝から洗濯機を回し始めた。
「3回やれば溜った洗濯物も片付くわ。やっぱり週に3回は晴れて貰わないと困るわ」
梅雨は終った。
だが、雨降る日が続いた。一日中じゃないけど降って来た。
そして久し振りの晴れの日だ。
福岡の貯水ダムは水不足と聞く。
蝉の鳴き声が強まった。
そこだけがいつも通りの夏か。
体調良好です。
それでは来週。

横から叩け。
ヘッド軌道を変えよ。

ドライバーの弾道が高いのが悩みです。いつも一緒にラウンドする友人よりも弾道がかなり高く、しかもスライス気味なので、ランがほとんど出ず、飛距離でかなり損をしている感じです。弾道が低くなれば飛距離アップを図れると思うのですが、ロフトを立てたドライバーではまったく球がつかまりません。どうすればもっと低くランが出る弾道で飛ばせるでしょうか。(宮城県・池田陽介・38歳・ゴルフ歴7年・平均飛距離200ヤード・平均スコア100)


転がりのない球と落ちた後の転がり持つ球の距離差を調べた事がある。
私にとってはその距離差、切実なる問題だった。
研修性時代、ゴルフ始めて10カ月過ぎた時、私は吹き上がるティーショットを打っていた。
それ迄は強い初速の球質で棒の球に近いドライバーショットを打っていたが、突然、吹き上がる球が出る様になった。
驚いた。
自分には縁なき球と思っていた。それが飛び行く途中からクーッと浮き上がり、スコンと落ちて行ったのだ。
マズいと思った。
プロテスト予選の研修会に出る直前に発生した吹き上がり球だった。

所属していた栃木県鹿沼CCの週休日は月曜日。月曜日が己のゴルフを知り、変化を求める練習出来る唯一の日だった。
当時のアンダーリペア杭は赤色だった。
月曜日、営業は休みでもコース管理の人たちは出勤していた。コース管理の週休日は火曜だった。
コース管理から赤杭と青色のウォーターハザード杭を借りて南2番のティーに立った。
いつも通りのスウィングでドライバーを打った。
球は吹き上がった。
10球は打ったと記憶する。
そして赤杭を持って球が落ちた地点に向った。
10球の球集まる中心地点と一番手前、そして一番先の地点に赤杭を打ち込んだ。
そこからが大変だった。
吹き上がりの球は打つまい、棒の球筋の球を打とうとしたが、吹き上がりの球ばかりが出た。
何球打ったかは記憶になしだ。
打つのを止めて落下地点へ向った。
左右の曲りはあったが、最初の10球、その後の10球はほとんど横に一線に並んでいた。
飛んでないと思った。

そこからの記憶は今もはっきりと残る。
棒の球質を求め、貴兄と同じ気持ちで球を打った。
私はパター練習の球とドライバーショット練習の球、そしてアイアン練習の球は分けて使っていた。
パター練習の球は練習ラウンドで使った後の球、ドライバー練習の球はそのお下がり球、アイアン練習の球はドライバー練習のお下がり球と分けていた。
この日はパター練習の球も持って行った。ここは研修生生活の勝負処と思ったからである。
私は幾度かの勝負処と思った時を持つ。
そして、その時の変化がその後を変えて行った様な気はする。
振り返れば私にとっての最初の勝負処だった。
棒の球質を求めて球を打った。
どれ程の球を打ったのかは記憶なしだ。
パター練習の球、ドライバー練習の球、合せて80球あったと思うが、打った球、2度の回収した様に記憶する。このままだと吹き上がりの球はスウィングの悪癖と変り行く様な気がした。
週休日である。コースの中で球打つは私一人。週休日のコース管理の仕事はグリーン周りだけ。時間は充分にあった。
腹が減ってスタミナ切れにならなければ日没迄、練習出来る一日だった。
途中迄は考えながら打っていたと思う。その後、考える事を放棄して打った。

突然、棒に似た球質が出た。
突然が顔を出した時に必要なのは頑固さと一途さだと思う。
不器用さがあればもっといい。
私の経験、指導の経験で申せば、器用さは突然への対応を間違える事が多かった。
知恵少なき研修生だった。
器用でもなかった。
何も考えず、球を打ち続けた。
気付けばティー上、私のティーアップした球の飛球線後方のダフリの跡が強く残っていた。
その時、吹き上がりの球出る原因に気付いた。
私は上から叩き過ぎていた。
吹き上がりの球、出る前のティーの高さと吹き上がりの球、出始めた時のティーの高さ、変っている事にも気付いた。
ティーが低くなっていた。
球を曲げてはいけないの想いがクラブヘッド軌道を変え、ティーの高さをも変えていたと思う。
体・技・心の技を変えるは心、心を変えるは体、体を変えるは技との輪廻に気付いた時だった。

青杭を持って球の落ちた地点に向った。
一番先の赤杭の先30ヤードに球が止っていた。
そして一番先の赤杭の先と30ヤード先の一番飛んでいる球の間に無意識で打った球が前後左右に散って止っていた。
一番飛んでいる球の横に青杭を刺し込んだ。
そしてティーに戻った。
週休日の食事は朝も夜も寮に買い置きしてある食パンと干し葡萄とチーズだった。
朝も昼も食パン一斤食べた。
チーズは丸齧(かじ)りした。その食事で栄養に不足なしだった。
飲むは水。ペットボトルなんてない時代である。ティーの横の水道水を飲んで過した。
今は飲み物に恵まれ、贅沢になった時代と思う。
南2番ティー上、持ち込んでいた食パンを食べた。干し葡萄とチーズを食べた。淡々とした気持ちで食べていたと記憶する。
そして、また球を打った。
吹き上がりの球は出なかった。
10球連続で出なくなった時、練習止めて球を回収した。
赤杭と青杭も回収した。
午後、9ホール回った。
吹き上がりの球は1球も出なかった。
夕刻、寮へ向った。
途中、コース管理に寄って赤杭と青杭をそれぞれ3本戻した。
コース管理棟の外の水道水で洗って戻した。土がへばり付いている杭だった。
コース管理の電気は消えていた。今日と同じ7月の事である。

飛距離を得ようとすれば球の曲り生じるだろう。
スウィングで直しに行く程にその傾向は強まると思う。
変化には3つの手段がある。
一、スウィングの変化。
一、クラブヘッド軌道の変化。
一、結果が生む変化。
私はクラブヘッド軌道の変化でゴルフ人生最初の勝負処に向っていたと思う。
人ぞれぞれだ。私にとっては最善でも貴兄にとっての最善であるのかは分らない。
ただ、私からの助言を聞いてくれるのならヘッド軌道を変える努力を勧める。30ヤードの変化に挑んで貰いたい。
努力の寿命は己で決める事が出来る。もっと横からの叩きを求めて行けばいい。
その努力に指導者は要らぬ筈だ。勿論、理論も要らぬ。必要なのは貴兄の忍耐と根気だけである。
以上です。

坂田信弘

昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格

週刊ゴルフダイジェスト2022年8月2日号より