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【ゴルフ初物語】Vol.87 東北地方初の本格的ゴルフコースは1935年に誕生した

1903年に日本初のゴルフ場、神戸GCが開場して以来、長崎、東京、箱根、長野と全国にゴルフコースが造られていく。北海道でも昭和初期に函館GC、小樽CCが設立されるが、東北地方には、まだコースがひとつもなかった。

当初は6ホールだった

まだ国内には20コースほどしかなかった1930年。日本酒「浦霞」の醸造元・佐浦酒造の佐浦菊次郎、新聞社の河北新報社長・一力次郎と宮城貯蓄銀行常務・早川退蔵ら、仙台を中心としたゴルフ愛好者たちが、仙台市内に簡素なサンドグリーンの6ホールを造り、プレーを楽しんでいた。だがコースの隣は陸軍の射撃場で、流れ弾が飛んできかねない。そこで本格的な18ホールを造ろうと探し出したのが、松島を見下ろす塩竈市の丘陵地。現在の仙塩GC浦霞コースがある場所だった。

コース建設を期して33年に「仙臺カントリー倶楽部」が組織され、初代会長に伊達氏32代当主・伊達興宗を迎える。コース設計を依頼された赤星四郎は、その土地を見て「ヒリーでなくフラットでなく、感じは廣野のカミングインの水のないところ」と絶賛し、翌年から工事が始まるが、芝やバンカー砂など費用が膨れ上がって資金不足に陥り、まずは6ホールで開場した。

この仙臺CCは大いに賑わうが、大戦が勃発。強制買い上げとなり44年に解散。国に買収されたコースには訓練所と食糧増産所が計画されるが、ほどなくして終戦を迎えたため、コースはそれほど荒れずに済むも、46年に今度は米軍のレクリエーション施設として接収される。コース復旧に協力を求められた佐浦菊次郎の監督の下、米軍による拡張工事が行われ、3ホールを造成。ここに東北初の9ホールのゴルフ場が完成した。

52年、日米講和条約により接収解除。ゴルフ場の経営権は土地所有者である佐浦菊次郎の手に戻り、仙塩ゴルフ倶楽部を設立し、初代理事長に就任。コースは「浦霞コース」と命名された。その夏に完成したクラブハウスは現在でも使用されている。

戦後、米軍に接収されるも、わずか6年で返還された仙塩GC浦霞コース。クラブ選手権の第1回~5回までは米軍人がチャンピオンだった。当時のクラブハウスは今でも存在している

週刊ゴルフダイジェスト2022年6月21日号より