【ゴルフ初物語】Vol.71 来週、国内男子ツアーが開幕するシンガポール。かつて「日本人専用」のコースがあった
いよいよ来週、2022年日本ツアーの開幕戦、SMBCシンガポールオープンが開幕する。昨年は中止となったため、マット・クーチャーが勝った20年大会以来、2年ぶりの開催となる。
1961年に創設されたシンガポールオープン。2002年から3年間のブランクをはさみ05年に再開し、11年にはアジア最高の賞金総額600万ドルの大会になったが、13年にスポンサーの撤退に伴い再び中止。16年に三井住友フィナンシャルグループがスポンサーとなり、日本ツアーとアジアンツアーの共同主管競技、SMBCシンガポールオープンとして復活し、国内男子ツアーの開幕戦となっている。2年ぶりの開催となる22年大会は来週1月20日からセントーサGCで開かれる。全英オープンの予選会でもあり、有資格者を除く上位4人に全英出場権が付与される。20年の前回大会では日本人最高位の6位となった木下稜介が全英切符を手に入れた。
かつて日本人専用のコースが存在した
戦前のシンガポールには大小合わせて約10コースが点在していた。その筆頭は豪壮なクラブハウスを持つ36ホールのロイヤルシンガポールGCだったが、英国人の独占的な面が強く、日本人はたまに招待される程度だったという。そこでシンガポール在住日本人は独自の専用ゴルフ場を造ってしまった。それが、タングリンにあった「新嘉坡日本人ゴルフ倶楽部」。
記事によれば1920年代にわずかばかりの空地に造られた練習場から始まり、「その後幾多の障壁と困難を克服して」9ホールのコースに。35年には横須賀を出発した海軍練習艦隊「浅間」「八雲」が台湾、香港、フィリピンを経てシンガポールに寄港した際、乗船していた久邇宮朝融王(香淳皇后の兄)が来場し、銀杯を賜ったという。38年には3ホールを増設し12ホールのコースとなり、400ヤードのドライビングレンジも完成。会員は130余名で将来的には18ホールを予定し、日夜コース改善に努力していたというが、太平洋戦争の勃発により姿を消した
週刊ゴルフダイジェスト2022年1月25日号より