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【ゴルフ野性塾】Vol.1716「母の手料理を覚えておけ。それが一番の親孝行だ」

KEYWORD 坂田信弘

古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。

寒くなった。風はないのに

足の裏からも太腿からも頭のテッペンからも寒さが体の中に忍び込んで来る寒さだった。
大濠公園へ向った。
時、午後の2時35分。
住むマンションを出て1キロ歩けば公園横の市立美術館前に着く。
いつも通り、公園入口から右へ曲り、自転車道とランニング道路と歩道一体の道に入った。
時間は充分にある。
歩く気は適当であり、ノルマもなければ最低この距離はとゆう己への決め事もなく、途中の気分次第、疲れ様次第で公園一周2キロの歩きで終るか、二周4キロの歩きで終るかを決める。
何事も然(さ)り気なくと想いて過して来た日々なれど、然り気なくは適当に通じるものだ。
三日坊主で終る事は多かった。
しかし、三日間でもやって来たと思えば納得出来るものはある。
三日坊主、大いに結構の気持ち、然り気なく、そして適当の枝葉である様な気はする。
大きい樹にはなれぬ。
三日坊主が生む木は小さな木であろうが、その木が私に似合う木と思いて今を過している。
不幸不満はない。
人様に迷惑掛けなきゃいいと思って生きて来ただけである。
大濠公園の道を歩いた。
公園に隣接する市立美術館裏玄関から300メートル歩くと、歩道の右側にスターバックスコーヒー店がある。
2周歩く時はスターバックスで休憩するが、1周の時は公園内のベンチに座るだけであり、コーヒー飲む事はない。
スターバックスから300メートル歩くと右側に遊園地があり、ブランコ、滑り台と親と子が遊ぶ設備が整う遊園地である。
遊園地を過ぎた。
歩道の右端、地面にペタッと座り込んで泣く子と子の横に正座姿で座る女性がいた。

母の愛と忍耐があれば
日本は大丈夫だ


30年よりも前、出会った様な気がした。
想い出した。
東京銀座の裏通り、泣く子と泣き止むのを待つ母親であろう人の姿だった。
女の子だった。年は3歳位だったか。
泣き止んだ女の子はそれでもシャクッシャクッと息を継いでいた。
母親が女の子の横に腰を下ろし、話し掛けていた。
優しい表情だった。
女の子はしゃくり上げながら聞いていた。
そして、顔を上げた。
母らしき人を見た。
頷いた。
女性は微笑んだ。
女の子は立った。
女性は子を抱いた。
女性は女の子の涙をハンカチで拭った。
女の子は微笑んだ。
2人は手を握り、歩き始めた。
女性は女の子に語り掛けていた。女の子は女性を見上げ、語り掛けていた。
この時、思った。
子の一番の幸せ、母の一番の幸せを見せて貰ったと。
そして、この母親の忍耐と愛あれば子は真っ直ぐに育つと。
日本は大丈夫だ、と思った。
私は2人の後姿を眺め続けていた。

その頃、私は周防灘CCに所属していたが、ツアー参戦の傍らペンを持つ日々を送っていた。
夜、周防灘CC下の雇用促進住宅に住む女房と二人の子に電話した。
「変りないか?」と問うた。
女房は長男雅樹と長女寛子の話をした。
いつもの事だった。
雅樹も寛子も小学生だったと記憶する。
今、雅樹は43歳、寛子は40歳になった。雅樹は独身、寛子は中学2年の長女と小学2年の長男の母親である。
あの日から30数年か、と思った。
30数年前の道路にヘタリ込んで泣く銀座の子は女の子であり、大濠で泣く子は男の子だった。
置いてくよ、と叱る人もいるだろう。
その時、子はもっと泣く。
母は背を向ける。
そして、歩き出す。
子は激しく泣きながら母を追う。それも母と子だ。
また、周りの眼線に耐えて泣き止む迄、待ち続けるも母と子だ。
泣く理由は知らない。
幼子の我儘、自我が泣く理由と思うが、子の我儘を押え付けるのか、共に耐えるかは人それぞれであろう。
大濠公園の母は待った。
母でなければ耐えられぬ泣き叫ぶ子の姿だった。
30数年前と同じだった。
母は微笑んだ。
子は母の手を強く握った。
2人は歩き始めた。
その瞬間、私は拍手した。
2人は振り返って私を見た。
私は手を叩き続けた。
母は微笑んだ。そして頭を下げた。
男の子も母親の真似をして頭を下げた。
2人の背を眺め続けた。
大濠に面するベンチに座った。
涙が出た。
いつ迄も流れた。
声を出さずに泣いた。
30数年前、去り行く2人の後姿を眺める私は微笑んでいたと思う。
隠す気はなかった。
74歳の爺様の涙だ。見られる事はあるまいの想いもあった。
この2年、世は変った。
だが、母の愛、母の忍耐、変りはしないと思う。
日本は大丈夫だ。

どれ程の時間、ベンチに座っていたのかは知らない。
寒さで体が震えた。
私は4人兄弟の長男であり、母は4人の子の食事を毎日作ってくれていたが、どんな料理だったのかは全く覚えていない。
母の味への記憶はゼロだ。
親不孝な子だったと思う。
母は逝った。
逝って13年になる。
あの世あるならば最初に母に謝るはその親不孝だ。
今日、雅樹と寛子、そして寛子の2人の子に教える。
母の作る料理、記憶に残せ。それが一番の親孝行だから、と。
30数年前の母と子の頬笑みは忘れた。
あの時、忘れてはならぬ微笑みと思ったが忘れた。
昨日の母と子の微笑みは忘れていない。
過ぎし日を想う。
本稿、送稿した後、大濠公園へ行く。
今日12月27日、現在時午前10時43分。
スコットランドの7月の空に似る雲が浮ぶ。白銀と薄暗い雲、重なる空だった。
私はスコットランドとタイの夕焼けが好きだ。
来年、行けるのか、行けると信じて今を生きて行く。

歩く人がいた。
泣く子がいた。
待つ人がいた。
手を握り合い、微笑む母と子がいた。
必死の子がいた。
一途の子がいた。
泣く子も必死、母の手を握るも一途な子がいた。
また涙が流れて来た。
74歳から75歳へ向う途中、体調良好です。

坂田信弘

昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格

週刊ゴルフダイジェスト2022年1月25日号より