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【野性塾】Vol.1713「プロゴルファーは歩いてナンボ」

KEYWORD 坂田信弘

古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。

筋肉を持つ動物の動きは

過す環境で変ると思う。
そして、私もそうだ。
昨年の2月下旬から外出の時は減った。
激減以上の減り様になった。
コロナである。
気付かなかった。
周りの指摘は受けていたが、そんな事あるまいと否定していた。
指摘を無視をもした。
声に元気なし、歩く姿勢が悪い、歩くスピードも遅いとの指摘だった。

「世間の73歳74歳はもっと元気だよ。お父さんは元気なさ過ぎるネ。運動しなよ。人との接触避けて、外で歩くだけでもいいからさ。今のままだと80歳の人にも負けるぜ。近くに福岡一の大きな公園と遊歩道があるんだから一日2時間の外歩きはどうだい?」
長男雅樹が言って来た。
今年もあと少しで終るが、11月26日の夕食時の一言だった。
「分った、分った」と答えた。
私は言葉の癖を持つ。
分った、と一言の時は素直な気持ちで聞いている。
分ったを2度繰り返した時は多少の不快感を持って聞いている。
分ったを3回繰り返せば、それ以上の発言を女房も雅樹も長女寛子もして来ない。
繰り返せば語気は強まる。
そして女房子供達は私の怒りを感じて黙ってしまう。

「お父さんの年齢の人は走ってるぜ。元気だ。老いるには早過ぎる。もっと外に出なよ。250ヤード飛ばす人も沢山いるんだからさ」と雅樹が言った。
11月28日だった。
「分った」と一言、返した。
女房と雅樹が顔を見合わせているのを気配で知った。

私は歩く。6アイアンの素振りを始める。


今、私は歩いている。
1週間で声が変った。元気な声に戻った、と女房が言った。
姿勢が良くなった。歩きの歩幅も広くなり、歩くスピードも速くなった、と言った。
「歩いてナンボの商売して来たんだから歩くの止めたら駄目でしょ。周りの人は皆、遠慮して何も言わないと思うけど、声だけでも元気にしてなきゃ心配掛けるだけですよ。さあ、歩きましょ、広い歩幅でスッスッと」

12月1日から3日迄の熊本空港CCでのテレビ熊本収録時、テレビ局スタッフが言って来た。
「腰の調子、良さそうですネ」と。
「そうかい。そう見えるんだ」
「心配してました。腰の残る歩き方されてたんでネ。前回の収録時、上半身の前傾の強い前かがみの歩きでしたから。坂田プロの歩く姿勢は格好良かったから尚の事、心配してたんですよ」
やっぱし心配掛けていたんだと思った。
総てのプロ運動者の中で歩く姿勢、最も美しいのはプロゴルファーと聞いた。
「お父さんの歩く姿は格好良かった。熊本の塾生に言った事がある。塾長の歩く姿勢、真似しろ。そうしたらアドレスが良くなって行くから」
雅樹が12年前のタイ合宿にジュニア塾生に言った一言である。
60歳迄の私は早歩きだった。
一歩の幅も大きかった。
腰がスッスッと前に進んで行く地面を滑る様な歩き方とコーチ達が言っていた。
アドレスと歩き方で坂田プロとゆうのが分るとも言った。
コロナでそれが消えた。
周りは私の老いよりは私の歩きの姿を憂いていたと思う。
声が小さく覇気なくなれば坂田節も消えるのであろう。
己の気付かぬ領分は多いと思う。
動物園の馬と麒麟の一歩は野にいる時よりも狭い。
動きも緩やかだ。
やはり過す環境か。それで狭いと緩慢さ生じるのか。
歩けば戻るものある事が分った。

一日を8時間3回で過す日は終りにしようと思う。
眠るのは好きだ。
だが、眠り過ぎは緩慢さを生む事に気付いた。
この1年と10カ月は楽しかった。
よく眠った。
でも、その日々とはお別れだ。
歩きます。
そして、6アイアン1本の素振りを始める。
歩く距離も時間も素振りの回数も決めない。
そこは得意の適当でやって行く所存です。
己への責任は一つ。
人様に迷惑掛けないの一つだけだ。
今日12月9日、木曜日。
現在時、午後1時35分。
10分間、雲一つない薄晴れの東の空を眺めていた。
マンションの15階で1年と10カ月、東の空に向って座り、原稿書いて来た。
先は分らない。
ただ、過去は分る。
それだけで充分の想いは持つが、それは70歳過ぎし者の想いと思う。

「年取る程に口は小さくなり、耳ばかりが大きくなって行くものだ。総ては面倒、聞くは簡単、が老いだ」と私の友が言った。
「老いたのか?」
「老いた。ドライバー飛距離200ヤード、ラウンド90切れん様になった」
「性欲はどうだ?」
「母ちゃんは友達。母ちゃんの下着姿見ただけで自己嫌悪になり、懺悔した気分に陥る。この時だけはキリスト教だ」
「若い時はお世話になったんだろう?」
「遠い昔だ。今は付き合っている若い姐チャンの下着姿見ただけで自己嫌悪だ。ただ、懺悔の気分にならないだけ救われているとは思うが」
「お前、最悪の爺イだな。ま、俺も似た様なもんだが」
「書くなよ。お前はすぐに書くから危なくって仕方ない」
「気にするな。お前一人を最悪の爺イにやせん。俺も最悪の爺イになってやる」
「なってやるじゃなくて最悪の爺イなんだよ。今日一日過して面倒臭いと思った事、幾つあった?」
「数えてない。気にもしてない。お前と違って面倒臭いと思う事、一つもないからな」
「ないのか?」
「ない。年取って行くのも楽しい。三日坊主が増えているのは事実だが、三日坊主でも三日間坊主であったれば大したものだ」
「自己肯定の強い男だな。自己嫌悪なんてものには縁遠き男だと思う」
「自分を嫌ってどうする。俺は善人も悪人も嫌いじゃない。ただ、崩れた自分の体、見るのは好きじゃない」
「鏡の前に立つのか?」
「立つ。そして落ち込む」
「そっから先は?」
「忘れる。服を着れば10年前も今も同じだからな」
「丈夫な奴だ。その単純さ素朴さ羨ましいよ」
「お前は懺悔して生きて行け。俺は鈍感のまま、あの世へ行く」

東京に住む友である。
近況を語る友は多い。
電話して来ては己の近況を語る者20名は超える。
私の近況を聞く為に電話して来る者はもっと多い。
暇な奴は暇潰しに電話掛けて来る。私も暇だから相手する。
コロナ前にそんな事はなかった。ただ、それも終りだ。
私は歩く。
携帯電話持たずに歩く。
「携帯と千円札1枚と百円玉2個を持って行って下さいネ。何かが起きた時の連絡、疲れて歩けなくなった時のタクシー代、そして自動販売機で買う水。分ってますネ。周りの皆さんに迷惑掛けちゃ駄目ですよ」
心配過ぎるは迷惑。
私は74歳。
自分の戻る家を忘れてはいないのだからまだ若いのだ。
周りの心配の声、聞くは面倒。
歩く。
そして姿勢を戻す。
本稿、ファックス送稿の後、大濠公園へと向います。
明日は天神、次の日は博多駅へと向うも面白い。勿論、博多駅からの帰りはタクシーだ。
腰痛、鈍痛のまま2年と10カ月を過す。
読者諸兄の日々の幸せを祈ります。
それでは来週。

坂田信弘

昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格

週刊ゴルフダイジェスト2021年12月28日号より