【ゴルフせんとや生まれけむ】中尾孝義<前編>移動日はラウンド日?「日曜夜の夜行列車で…」
ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、元プロ野球選手の中尾孝義氏。
僕が初めてゴルフクラブを握ったのは大学生のときでした。専修大学で野球をしていたのですが、地元の兵庫県加西市に帰ったときに知り合いの方から「ゴルフに行こう」と誘われ、「僕、一回も行ったことないです」と答えたら、「それなら練習場に行こう」と連れていってもらいました。最初にドライバーを握り「ブン!」とスウィングしたら空振りでした。「えっ、なんで当たらんの!? 野球の動いているボールは当たるのに」と思ったことを今でもはっきり覚えています。
それから何回か練習場に通った後、ゴルフ場にも連れて行ってもらいました。練習場の1球目は空振りだったのに、初ラウンドは108で回りました。1ホール目でめちゃめちゃ長いフックラインが入り、たちまちゴルフの魅力に取りつかれました。
でも、大学時代と社会人時代はそんなに行けませんでしたから、本格的に始めたのはプロ野球に入ってからです。初ラウンドが108なので、それ以上打ったことがないと言いたいところですが、プロ入り3~4年目に140以上たたいたことがあります。そのころはけっこう上手くなっていたのですが、力任せに振り回していましたから、ほとんどのホールでOBを出してしまいました(笑)。
中日はゴルフに関して寛容なチームで、シーズンの最終戦が終わると球団や選手会、テレビ局やスポンサー企業などたくさんのコンペがありました。キャンプに行くときも「キャディバッグ忘れるなよ」と先輩から言われてビックリしました(笑)。
実は2年目にはシーズン中にもゴルフに行くワザを覚えてしまいました(笑)。月曜日は試合がなくて移動日だったのですが、その日にゴルフに行くんです。日曜日に広島での試合が終わると、翌日の新幹線の切符をくれるのですが、それを朝6時半に名古屋に着く夜行列車の切符に替えます。そして一緒にゴルフに行く人に名古屋駅まで迎えに来てもらい、いったん家に帰って着替えてからゴルフ場に向かいます。名古屋近辺でラウンドするとバレるので(笑)、中央自動車道を走って長野県の松川インターチェンジの近くにある高森カントリークラブによく行っていました。そこまでしてラウンドするほどゴルフが好きでしたね。一番多いときは年間80ラウンドくらいしていました。
やがて中日のマネジャーの紹介で、岐阜で皮膚科医をされている関谷(均)先生と知り合い、岐阜関カントリー倶楽部でご一緒させていただくようになりました。先生は森口祐子プロのダンナさんです。僕の8歳上で、祐子ちゃんが僕と同じ歳。初めて2人と一緒に回ったとき、祐子ちゃんがハーフで5バーディを取って31を出したんです。「やっぱりプロはすごいな!」と思いました。それ以来、家族ぐるみでおつき合いをさせてもらっています。
僕は今、東京に住んでいますが、新型コロナウイルスが流行する前は岐阜に行くと必ず先生とゴルフをしていました。このところ岐阜には行けていませんが、また一緒にゴルフができる日を楽しみにしています。
中尾孝義
1956年、兵庫県生まれ。80年ドラフト1位で中日に入団。81年の開幕直後から正捕手として活躍。82年に8年ぶりのリーグ優勝に貢献。88年オフにトレードで巨人に移籍。92年シーズン途中に西武へ移籍した後、93年現役引退
週刊ゴルフダイジェスト2021年11月30日号より