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【ゴルフせんとや生まれけむ】松崎しげる<後編>「ゴルフ場でオヤジに最後の親孝行」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、前回に続き歌手の松崎しげる氏。

前回のお話はこちら

早いもので僕がゴルフを始めてから50年が過ぎました。この半世紀の間、ゴルフを通じてたくさんのいい友達ができたし、いろいろなことがあったなあ。

たとえばホールインワンは4回やっていて、そのうちの2回は今でもそのときの映像が残っています。特に印象深いのは芸能人ゴルフ大会で出したときかな。146ヤードの打ち下ろしをPWで打ったら、ランもなくカップに直接スコーンと入っちゃった。これ以上ない、あまりに完璧なホールインワンには僕自身もだけど、一緒に回っていた石田純一さん、森末慎二さんもビックリしていたよ。あの時は興奮したねえ(笑)。


ゴルフにまつわる思い出はどれもこれも楽しいものがほとんどだけど、ほろ苦いエピソードもあります。もう30年以上前の話になりますが、僕にゴルフの楽しさを知るきっかけを作ってくれたオヤジが63歳でガンに侵され、伊豆で温泉治療をしていたんです。そのとき、オヤジが突然「ゴルフがやりたい」と言い出して。実はすでに余命数カ月と宣告されていて、以前はゆうに80キロあった体重が50キロまで減っていた時期。いくらなんでもゴルフは無理だろうと思ったけど、オフクロが「お父さんにとってゴルフは生き甲斐だったのよ。なんとか希望を叶えてあげて」と言うので、伊豆周辺に詳しい大橋巨泉さんに相談して伊東のサザンクロスリゾートを紹介してもらいました。

HC3だったオヤジも体力がなくなっているからね。後ろの組にパスさせたことなんて一度もなかったのに、3組もパスさせてなんとかラウンドした。それでもオヤジは本当に楽しそうで、久しぶりに満面の笑顔を見せていました。当日、オヤジのことが心配で生まれて初めてゴルフ場について来たオフクロも「ゴルフ場ってこんなにきれいなところなのね。お父さんがゴルフに夢中になっていたのもわかるような気がするわ」と言っていました。

終わってからオヤジと一緒に風呂に入ったんです。オヤジの小さくなった背中を流しながら「オヤジとゴルフをするのもこれが最後かもしれないな」と思ったら、涙が止まらなくなって。あれから何十年も経っているのに、いまだにサザンクロスの前を通るとその時のことを思い出して胸が痛くなる。オヤジを偲んでもう一度ここでやろうかなとも思うんだけど、まだその気になれないんですよ。でも、ゴルフをやっていたおかげで、最後の最後に親孝行ができたような気がして、それだけは良かったかなと思っています。

さて、僕も70歳を超えて立派なシニアの仲間入り(笑)。以前は軽く270~280ヤードは飛ばしていたドライバーも210ヤードがやっとで、息子に50ヤードも置いていかれるようになった。年齢的なこともそうだけど、2001年にモンゴルでテレビのロケに参加したときの落馬事故で腰の骨を折った影響もあり、昔のような攻撃的なゴルフもできなくなっているんです。それでもゴルフはやめられないし楽しい。これからはオヤジがそうだったように、年相応の枯れた、粋なゴルフをやっていきたいなと思っています。


松崎しげる

1949年、東京都江戸川区生まれ。歌手として「愛のメモリー」、俳優としても「噂の刑事トミーとマツ」などヒット作多数。こんがり肌がトレードマーク。ベストスコア71

週刊ゴルフダイジェスト2021年11月23日号より