【ゴルフ野性塾】Vol.1701「曲る時は曲る。それがゴルフ。」
古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。
私は新聞を二度読む。
たまに三度眼を通す事もあるが三度の読みは3カ月に一度あるか否かである。一度目よりは二度目の読みの方に時間を掛ける。そして二度読みした後、内容全部、記憶に残ってはいない。
記憶を使わぬ読み方故、読み疲れはない。
小説の類いもそうだ。面白いと思ったものは幾度も読むが内容を覚えてはいない。人には人それぞれがあると思う。
人は模倣から己を作り行くと思うが、理想のスウィングを模倣する時、理想スウィングの7割の模倣出来ればプロレベルに達するであろう。
そして7割の模倣を続けて行けば模倣出来なかった3割から個性が生れ、3割と7割の融合が己のスウィングを生むと思う。
私はジーン・リトラーを真似た。
腕の高さ、トップ型、ダウンスウィングで右足が左足へスリ寄って行く体重移動、そして高いフィニッシュを真似た。1割も真似出来なかったと思う。
それでも私はジーン・リトラーに成り切っていた。だからプロテスト迄は真っ直ぐだった。
生き様、人間性を模倣したい人、眼の前にいれば幸せであろう。
私は多くの友人を持つ。だが、人間性に共感は感じても生き様に魅力感じさせる奴は1人もいないのです。相手も同じ気持ち持っていると思う。お互い、模倣したい相手じゃなかった。
丸い石じゃない。
川の上流から下流へ転がり落ちる角持つ石みたいなものだ。
ぶつかり様不足の石である。
10月11日で74歳になる。
こうなりゃ死ぬ迄、中途半端なままか、と思う。
「長生きしてくれよ」の電話が入る。健康食品を送って来た奴もいる。
「今年も松茸山に入って松茸を取る。そしたらすぐに送る」
バンコックに住む奴なれど、外出出来ないバンコックからどうやって日本に来ると言うのだ。
それともタイに松茸取れる山があるとでも言うのか。
流石にコロナ禍、長いと思う様になって来た。今年9月15日、福岡のマンションに籠っております。体調良好。
小さなトップ、大きなフォローで打て。
ラウンド終盤の大切なホールでドライバーが左に引っかかります。これまで何度もそれで痛い目に遭っています。先月のプレーではOB2連発をやってしまいました。体の回転が止まり、右手が利きすぎるのはわかっていますが、どうしても直せません。解決策はありませんか。(栃木県・佐藤了輔・45歳・ゴルフ歴18年 平均スコア88)
インパクト前に如何様な工夫したとて曲る時は曲るものだ。
逆に何の工夫せずとも曲らぬ時は曲らぬものである。
物事には逆説が存在する。
ゴルフへの考え様、然り。
逆説の存在を否定するは片手落ちの様な気がする。
多くの理論、短命であった。
長寿な論、20に1つであった様に思う。
長寿の論は逆説を持っていた。
高いトップの優位性、低いトップの優位性、そして、いずれが強き優位性を持つかの論が長寿の論となって行った。
これは駄目だ、これしかないの片翼論は長寿の論とはならなかった。いつかは姿を消し、その存在さえも忘れられる人の世なれど、短命よりは長寿の方が訴えの期間、長いのは確かだ。
短命はマッチ1本の寿命、長寿は薪1本の寿命と考える。
逆説の意見、思考、理念は進化と開拓力を持つ筈だ。
極稀ではあるが、ゴルフ理論書を読む事がある。
逆説存在するかを読みながら考える。逆説持つ理論との出会いは少なかった。勿体ないと思う。逆説あれば長寿であるのにと感じた。
経験は逆説を生む。
経験のなさは逆説を生まない。
だから逆説を欲する人は経験持つ人の理論を求めた。
この事、ゴルフ理論に限った事ではない。他の分野に共通する基本と思う。
私の論が逆説を持っていたか否かは分らない。ただ、私の論は長寿であると思う。
消える論は早ければ3カ月で消える。長くても3年で消えて行く。3年以上の寿命を持つ論は逆説を持つ。
逆説、特に求められるのが経済と政治の様な気はする。
日本の政治に逆説、強く存在しているかと申せば否と思う。
否定の力が弱過ぎる。
アメリカと中国の逆説の力は強い。中国は否定の力を持つ。肯定の力と同等の力を持っていると思う。だから強権が生れる。
重量バランスの永遠の維持は出来ぬのが人の世と思うが、アメリカと中国、いずれの国のバランスが先に崩れるかに興味を持つ。多分、中国が先に崩れるのではと推察するし、期待もする。
ゴルフ理論、逆説の存在は大切だ。私は意識しなかった。そして今も意識なしでペンを持つ。
「坂田のゴルフ理論には肯定と否定の力がある。それが面白いと思う。肯定と否定の力、無くなったら面白味ゼロの理屈になってしまうだろう。テレビのスポーツ解説然り、テレビ画面で分っている事を解説されたって面白くもなんともない。その先、或いはその手前を教えてくれるのが解説だ。そんな解説が欲しいよ。近頃のスポーツ中継でそれを強く感じたネ」
私の友人の指摘だった。
確かに納得行く指摘だった。
「この1球は勝負処ですね」とか、「この3メートルは勝負処ですよ」の解説、そんなもんテレビ見てりゃ誰でも分る事だ。
外すとすればその理由、入れるとすればその理由を語るのが解説であろう。
贔屓の話は不快を生む。話の中味が不均衡過ぎるが故にだ。
逆説を持たぬ人間の社長業は危険と思う。
逆説はバランス維持に於て大切な様に思えて仕方ないのです。
私は何事に於ても善きバランス持つ人間じゃなかった。
だから長に立つ事もなかった。
塾長があるじゃありませんかと言う人もいたが、自分が望んで長になった訳ではなく、長から退く気持ちはジュニア塾を開塾した時から、塾内部から批判あれば即刻の気持ちを持っていた。執着、未練、固執などひとカケラも持たぬ長だった。
それが今も塾長である。総ては成り行きと思う。
貴兄に足りぬは覚悟であろう。
OBを恐れると体の委縮、気持ちの硬化、指先の勝手な動き生じるものである。勝手な動きの阻止は難しい。
私も左OBの時、スウィングのスピード緩み、右手の返し強まりてチーピン打った事がある。
左OBの時は小さなトップから大きいフィニッシュ目指して行けばチーピン出ない事を知った。
恐れは萎縮を生む。
萎縮を回避しようとすればスウィングバランスは崩れる。
ならばトップの萎縮を作り、その後の大きな振りを目指せば萎縮を負の動きとしないのではないかと考えたのです。
逆説であった。
貴兄は体の動きを強めるが為の大きなバックスウィングを目指しているのではと推察。そこに逆説はない。助長あるだけだ。
小さいトップ、左肩、半分の動きで振ってみてはどうか。ただ、フォローは大きく振るが肝要。
日頃のトップの大きさだとそこから先、大きく振るは難しいが、小さいトップだとそこから先の大きな振りは容易だ。
ゴルフは逆説の思考、逆説の行動持つ方が早く上達するゲームと思う。私にはそこが不足していた。そして今も否定のまま、日々を過す。
御自愛あれ。
坂田信弘
昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格
週刊ゴルフダイジェスト2021年10月5日号より