【ゴルフ初物語 Vol.49】1959年、東京タワーの目の前に 日本初の3階建てゴルフ練習場が誕生
ゴルフ人口の減少による来場者減や、オーナーの世代交代による相続税問題で近年、街からゴルフ練習場が次第に姿を消している。だが、50年ほど前は都心の真ん中に大型練習場が次々と造られていた。
東京だけでなく大阪の中心部にも
徳川二代将軍秀忠の墓所として、1632年に三代将軍家光によって増上寺境内の南側に造営された台徳院霊廟。その跡地に1959年に開場したのが日本初の3階建てゴルフ練習場、芝ゴルフ場だった。オープンの2年前には、霞ヶ関CCで行われたカナダカップで中村寅吉、小野光一が優勝という快挙を成し遂げ、日本初のテレビ中継でゴルフというスポーツが広く民衆に広まりゴルフブームが到来。
3階建て、155打席、300ヤードのマンモス練習場はアクセスもよく、連日来場者であふれかえった。さらに9ホール、875ヤードのショートコースも併設。ナイター設備もあり24時まで営業し、東京タワーを至近に望む絶好のロケーションでにぎわっていたが、64年の東京五輪開催に伴い東京プリンスホテルが建設されるため、ショートコースは61年に営業を終了した。その後も練習場はゴルファーの都会のオアシスとして愛され続けたが、2001年9月30日で営業を終了。跡地には05年にザ・プリンスパークタワー東京が開業している。
芝ゴルフ場に対抗して、大阪のど真ん中、難波に70年9月11日にオープンしたのが全国で2番目となる3階建てのゴルフ練習場、ナンバゴルフセンターだった。日本皮革(現・ニッピ)の工場が移転したあとの空地利用として建てられ、当時の関西以西では最大となる138打席を有していた。芝の300ヤードに対して、ナンバは200ヤードと距離では負けていたものの「ネットの高さでは、おそらく日本一ではないですか? 芝ゴルフ場がたしか30メートル。うちは40メートルですから」と当時の日本皮革の担当者。ナンバゴルフセンターは97年3月に閉鎖され、跡地は現在開発がすすめられ2023年に複合ビルが竣工予定。
オープン当初の芝ゴルフ場には、まだ3階打席に屋根はなかった。すぐそばに現・テレビ東京があったため、毎日のように芸能人の姿も見られた
週刊ゴルフダイジェスト2021年8月10日号より