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【ゴルフに運はつきもの】Vol.10 アマ時代、松山選手と同部屋に。「シャワーの音で目が覚めていました」

ILLUST/Masahiro Takase

最強のサラリーマンとしてアマチュア時代に輝かしい成績を収め、49歳でプロ転向した“中年の星”こと田村尚之プロ。群雄割拠のシニア界で気を吐く異色プロが、自身のゴルフについて、そしてシニアツアーの裏側について語る。

松山英樹選手、遂にやりましたね! マスターズ優勝、誠におめでとうございます。最後はハラハラドキドキだったけど、18番ホールのティーショットは本当に見事でした。あのティーショットを打つために、人の何倍も練習してきたんですものね。本当によかったです、おめでとう!

でもあの松山少年が、本当にマスターズチャンピオンになったんですよね。感慨深いなあ。実は松山選手と私は、アマチュア時代、2008年の世界アマの日本代表選考会で一緒になりましてね、彼が全国高等学校ゴルフ選手権で優勝して、急きょナショナルチームに呼ばれまして。三好CCでの1次選考会は私がトップで、続いて夏泊ゴルフリンクスでの最終選考会で、私と松山選手はコース隣接コテージのツインルームで一緒だったんです。まあ彼はやりにくかったでしょうけどね。ナショナルチームでは選手は必ずツインの相部屋という決まりでしたけど、いきなり43歳のオジさんと相部屋ですから。

当時高2の松山選手は、まだ体の線が細い子でしてね。ドライバーの飛距離は私と同じくらい、ただ、アプローチとパッティングは当時から素晴らしかったですよ。技術というより、とにかく感覚がよくて、スコアを作るのが高校生としてはズバ抜けてましたね。

またラウンド後はミーティングがあって、済んだら選手はコテージに戻るんですが、部屋に戻ると松山選手がベッドに座っていて、「いや違う」とか「これじゃだめだ」とか、小声でぶつぶつ言いながらスウィングのことを考えていましたね。当時から、納得するまで突き詰めないと気が済まない性格だったんでしょう。

そして朝になると私、松山選手のシャワーの音で目が覚めてたんです。ナショナルチームの選手で朝、私より先にシャワーを浴びたのは松山選手だけでして(笑)。ほんと、いい意味で誰よりも自分を持っている選手でしたね。

松山選手は、学生の頃から「メジャーで勝ちたい」と言ってましたが、2011年のマスターズでローアマに輝いたことが大きな転機になったことは間違いないでしょう。彼は2010年のアジアアマチュア選手権で優勝して、翌年のマスターズの出場権を獲得。この大会が始まったのは2009年からで、この辺りも彼はもってるよね。それまでアジア人のアマチュアは、基本的にマスターズには出られなかったんだから。で、その記念すべき第1回アジアアマチュア選手権にはというと、私が出場してまして。当然マスターズ出場権狙いでね。宝くじだって買わないと絶対に当たらないでしょ(笑)。

松山選手が本当に凄いなあと思うのは、日本人メジャーチャンピオン誕生という、日本中の期待を一人で背負って、それを実際に達成したということなんです。今回はコロナ禍で、ギャラリーが少なかったし、何より日本からのマスコミの数が少なかったのもラッキーではあった。でもそのチャンスを掴み切ったところが凄いんですよ。間違いなくゴルフでは「運も実力のうち」なんだから。

今後は、松山選手とほぼ同じ道筋をたどっている金谷拓実くんとか、メジャーチャンピオンという期待を抱かせる選手がほかにも出てきてくれることを願うばかりですね。

今回の優勝で、多少は肩の荷が下りたとは思うけど、もう少し松山選手には気楽に戦ってもらいたいんですね。そうなると、またメジャータイトルが取れると思うし、世界の第一線で長く戦える選手になれると思うんです。頑張れ、松山!


田村’s ワンポイント
勢いが増してきたラフは、横から「おじゃまします」

田村尚之
1964年6月24日生まれ。56歳。「日本ミッドアマ」2連覇、「日本アマ」2位などを経て49 歳でプロへ転向。2016年「富士フイルムシニア」でツアー初優勝

月刊ゴルフダイジェスト2021年7月号より